2018年8月12日日曜日

旅行記、十年後

 本棚の整理をしていると昔の旅行記が出てきた。古びたそれは私がまだ旅人だった頃に旅先の記録や思い出を記していたものだった。整理する手を止め、表紙をめくる。少し古びたインクで綴られた最初の一文は、私が旅に出たときのことが記されており、記憶の埃が払われる気がする。
「景色に憧れて旅に出た。遠くの景色が好きで、もっと見たくて、旅に出た」
 声に出してみればまだ若い娘だった頃の自分の背中が脳内に見えてくる。世界というのは未だ見ぬ美しいものに溢れていて、それらに触れたくて私は旅立った。しかし最も尊いものは、そういう風に思わず旅立ってしまうほどに美しいものに憧れる心だったのだろうと今の私は思う。
 実際に旅立ってみると、世界は私の想像以上であると同時に、私が想像だにしなかった醜いものも溢れていると知った。時に傷つき、絶望し、その度に私の心はすり減っていった。もちろん私の心を癒してくれたのはやはりふとした瞬間に出会った美しいものであったのだが、私が本当に悲しくなったのは、様々なものを見聞した結果、美しいものに見慣れてしまったという自覚が出てきてしまったことだった。世界が新鮮味を失い、世界の果てまで知ったような気がしてしまった瞬間、私の旅は終わった――。
 チチチ、と庭で小鳥な鳴いている。気づけば結構な時間が経っていたようだ。日が沈むまではまだ時間はあるが、今日のうちに済ませておきたい仕事はあといくつか残っている。やらなければ。しかし私は、残りの白紙、まだノートの半分も残っている手付かずのページから目を離すことができない。それは選択しなかった未来に対する未練というよりは、私の旅はまだ終わっていないといううすらぼんやりとした手応えによるものだった。
 私の旅はいつでもどこからでも始まる。なぜなら私は旅人だから。無鉄砲にも旅立ったあの頃よりも十年が経って多少の分別はつくようになったかもしれないが私は私以外にはなれない。
 どこへ行こう、何を見に行こう。きっとまだ私は私の心のことを知らない。
 玄関からただいまという声が聞こえた。夫と息子が帰ってきた。旅行記を本棚に戻しかけて、留まる。食卓の隅に置いたまま、二人を迎えに行く。今晩から私は再び筆を執るだろう。

��**




リアルに10年が経ちました。
http://siraisa.seesaa.net/article/104313531.html
まぁ、色々あったよね。結婚したり10月に子が生まれることになったり。
天啓を受けたようにポッと物語が降ってきたのも16年前で、それから何が変わったのかと言えば結局のところ何も変わってないように思う。
seesaaの仕様はだいぶ変わっていたけれども。