2011年7月26日火曜日

江國香織「なつのひかり」

江國香織「なつのひかり」

毎年夏になるとこれを読む。近年は意図的にそうするようにしているのだけれど。
読むたびに読了後の印象が変わる。
初めて読んだときはまだ18歳で、他の人に遅れてたくさん本を読むようになった時期だった。初読の印象は、「なんじゃこりゃ」。そこに込められたメタファーとか構造みたいなものはまるでさっぱりわからない。でも、異世界を彷徨するような感覚が、なんとなく、好きだった。
次に印象が変わったのは、21歳のとき。最後の、

 そして、私は二十一歳になった。

ですとんと腑に落ちた。何がどう落ちたのかといえば、その当時の自分の言葉を借りれば、「なんかよくわかんないけど何かがすとんと、ね」。

そして今年。
今年はなぜか(と敢えて濁してみる)、順子さんの視点で読めた。
この話では繰り返し繰り返し、誰かが誰かを捕えている関係が出現する。順子が幸裕を、幸裕が私を、薫平がナポレオンを、動物園が猿を、両親が兄と私を、子供たちの親がはやと・浩次・彩子を。その関係について、捕える側が関係の維持に躍起になったり、捕えられる側が逃げだそうと奔走したり、あるいは捕われていることに安心したり諦めていたり。そういう連鎖的なつながりの頂点にいるのが“順子さん”なのだよな。
この関係のほぼ枠外にいるのが、遥子であり、あるいはめぐみだったりする。彼女たちはほとんど将来性のないこれらの関係を、遠慮なしに力強くぶち壊す。だから大変まぶしく見える。

この作品の最大の謎(と思っているもの)は、ベティ。
唐突に、しかしずっと昔からいたかのよう文脈に馴染んで出現するベティという登場人物については、ほとんど何も語られていない。最後数ページでちょろっと出てきて、それっきり。あまり表に出て来ない人格であり幸裕と順子さんの結晶なんだろうと踏んではいるけど、推測の域は出ない。存在がすごく抽象的。
だけど、この存在がこの作品の核であり、歪みの象徴なんだろうと思う。

2011年7月24日日曜日

ペパーミント症候群(リライト)

「ペパーミント症候群」

 瓶の中のホムンクルスにペパーミントの種が根付いたので、その子だけ他の子とは異なる特性を備えるようになった。根が彼女の背を割り、芽吹いたばかりの双葉が青々しく、檸檬色の培養液の中で翻る様はまるで翼が生えたようだった。ホムンクルスは混沌とした意識の海を漂う。
 最初の変化は、容姿に対する関心の発現だった。髪をいじる、伸びた爪を噛み切る、瓶の内壁に映った自分自身を観察する。瓶の中にビーズを数粒投入してみた。彼女は培養液の中を泳ぎ下り、拳大のビーズを持ち上げる。翌日にはビーズに髪を通し、頭頂部でまとめていた。
 そこで今度は苺味の飴の欠片を投入してみた。しかし味覚はまだ発達していないようで、明りに透かすに留まった。
 次に衣服を作成し投入する。彼女はそれが何なのかわからないようだった。瓶の前に子役モデルの写真を立てる。するとその日のうちに彼女は衣服を着ることを学習した。
 まったく驚くべき発見であり、私は興奮した。しかし間もなく彼女は恋煩いを発症する。瓶に手のひらを押し当てじっと私を見上げている。

 月夜の晩に彼女は亡くなった。瓶の蓋を開けると、ミントの香りがぷんと漂った。

��**

「ペパーミント症候群」リライト。

 その昔、瓶詰妖精というアニメがございました。