2009年3月20日金曜日

鳥篭の館

「鳥篭の館」

 私を買った男はその帰り道に鉛の足輪を買い、屋敷につくなり「はめろ」と言い放った。私は罪深い女なので抗えるはずもなく、ただ大人しく従うしかなかった。男は鎖を引く背中も満足げに渡り廊下を通り尖塔をのぼっていく。吹き抜けの螺旋階段は四方八方に取り付けられた窓から採光されまぶしく輝く。足の裏の感触からすると、これは真鍮なのかしら、それは素敵ね、ルビーやサファイアなんかよりずっとお上品、嬉しくて私はくすくす笑ってしまったのだけど私は罪深い女だからそんなことが許されるはずもなく、男に叱られる前に男に頬を突き出し叩かれる。それから私は俯き粛々と歩き、零さない程度に涙を浮かべ、これから始まる隷属の日々に頬をほころばせまいと必死で堪える。男が立ち止まるとそこはまだ螺旋階段の途中であった。私たちと壁の間の空間に牢が吊るされている。ずっと高い天井から吊るされる牢はゆらゆらと不規則に揺れ、男がそっと触っただけでもか細い鎖が軋むのだ。男は牢の入り口を開け放つと私を手にした鎖ごと放り込み、鎖を真鍮の手すりに巻き、そして入り口に鍵をかけた。男は小さな宝飾された銀の鍵を掲げると、自分も上を向いてあんぐりと口を空け、緩やかに飲み込んでいく。そして喉を大きく震わせ嚥下すると男は私のことを見向きもせずにまた来た道を戻っていった。残された私は鳥篭みたいな牢の中で日長一日膝を抱えてゆらゆら揺れている。上を見遣れば、霞む天井にぽつ、ぽつと鳥篭が見える。その数だけ男は鍵を飲み込んだのだろう。三月に一度、新たな牢が吊るされ間もなく螺旋階段を叩く靴の音が聞こえる。


砂漠の幻楽団

「砂漠の幻楽団」

 早朝の午前五時、一本の電信が届いた。場所は街からおよそ東へ五八〇キロメートル、砂漠のど真ん中だった。
「砂鯨が毒虫にやられて死んでしまったんだとさ」
「可哀想にね」
 私は紅珊瑚のかんざしを口に咥えてマニキュアを塗る。他のメンバーも手早く身支度を整えた。

 それから私たちは砂舟で半日かけて目的地まで行く。麻の帆を張り砂嵐を受けて舟は進むのだ。
 到着したのは夕暮れも近い時刻で、東の空で星がいくつか瞬いていた。電信の主は砂鯨の死骸の傍らで膝を抱えて座っていた。同い年くらいの少年だった。
 私たちは作業を開始する。砂鯨を解体するのだ。皮膚にナイフを立て、血は瓶に残さず注ぎ、ばらばらにしたパーツで楽器を作る。砂鯨の髭のハープ、皮と骨で作ったドラム、平歯のカスタネット。月が顔を出す頃にはあらかたの楽器は作り終わり、砂鯨はきれいさっぱり解体された。
 そして満月が天頂に昇る頃。メンバーは各々の楽器を構え、私は彼らの中央で胸に手を当て深呼吸をした。観客は彼一人。彼のためだけのアリアを歌うのだ。
 すうっと息を吸い込むと、微かに天を覆っていた薄雲が晴れ、ぽつり、またぽつり、と砂漠に光の斑が浮かび上がる。砂の表面には風が刻んだ波のような畝があり、それと相極まって一つのスコアになるのである。間もなく光の斑が地平線の彼方まで浮かび、今宵のスコアが完成する。私たちはそのスコアに従ってアリアを歌う。

 夜明け、光の斑が薄れる頃に葬送の儀式が終わる。
 全ての荷物を積み込み砂舟に乗り込むと、少年が砂鯨の耳骨が欲しいと言い出した。キャプテンに尋ねると、構わねえさ、と笑った。
 少年は街までの道中、ずっと耳骨を耳に押し当てていた。安心しきって眠るように伏せられた瞼から目が離せずにいると、キャプテンに「仕事しろ」と頭を小突かれる。


バビロニア

「バビロニア」

 オリエントの美少年の操る象に乗って流花の回廊を歩く。
「あれはなあに」
「クチリの花弁です。煮詰めた汁は頭痛に効くそうです」
 ふうん、と呟く。別段興味はない。彼のか細い喉から零れる声が聞ければ良いのだから。

a boy

「a boy」

 蒸気機関で動くスチームビートルに跨って『回路』を巡り破損箇所を修理して回るのが俺の仕事だ。『回路』というのは街全体に張り巡らせられたスチームパイプで、壊れたところからはシューシューと蒸気が漏れているので破損箇所を見つけること自体は難しくない。しかし百度に近い温度の蒸気を相手にすることは決して楽なことではない。一日の仕事を終える頃には顔や手足はすっかり赤く腫れ上がっている。ひりひりする皮膚を風に晒しながらビルの壁面をスチームビートルでまっすぐ昇り、ビルからビルへ飛び移って帰路につく。その途中、ラジオ塔に登って街並みを見下ろした。赤錆びた街の底にはうっすらと蒸気が滲んでいる。電気カラスが群れを成して飛び行く。


柊の原

「柊の原」

 柊の葉がびっしりと植えられた原を歩くの。そこは雪で覆われていて柊の葉は見えないんだけど、裸足で歩くから、ざくざく、ざくざくって足に柊の葉が刺さるの。血が出るの。真白な雪の原に血の跡が続くの。とても痛いの。なんで私はこんな目に会わなきゃいけないのってぼろぼろ泣くの。けど私は歩かなきゃいけないから歩くの。だってそういう風にメイレイされたから。私は歩くの。柊の原を歩くの。真赤な血が真白な雪を染めるの。
 もうだめ、倒れちゃう。そう思った頃に地平線の彼方に人影が見えるの。私を優しく抱きしめてくれる素敵な人で、私はその人を目指すの。そこまで行ければ私はもう大丈夫。私は泣きながら笑って、あともう少しもう少しって自分に言い聞かせるの。そうしたら柊の葉が突然芽吹いて、一瞬で巨大な柊の森になるの。私は途方に暮れるの。


世紀末、その後

「世紀末、その後」

 世紀末が終わった後の世界は静かなものだったね。恐怖の大王なんて現れやしなかった。子供心にがっかりしたもんさ。なあんだ、って。つい最近まで恐怖の大王で盛り上がっていた大人たちは、そんなものがあったことさえ忘れてしまったかのようだった。
 世紀末最後の学校からの帰り道、俺とかっちゃんは賭けをしたんだ。恐怖の大王が現れるか現れないか。「恐怖の大王なんて信じてんのかよ、くだらねえなあ」「かっちゃんはじゃあ、なんで現れないなんてわかるんだよ」「だってそりゃ……なあ」「もし現れたらどうする?」「そんなこと考えても意味ねーじゃん、出るわけないんだし」「俺だったら、大王を見に行く。学校の屋上からだったら見えるかな」すごくどきどきして、わくわくしてた。
 けれど結果はご存知の通りさ。俺は田舎のじいちゃんちに連れていかれて、大晦日は早々にダウンして、気がついたら西暦二〇〇〇年だった。恐怖の大王なんて現れやしなかった。
 それから七年、八年と時間はあっという間に流れて俺は大学生になり、世紀末のことなんてすっかり忘れていたんだ。その日俺は大学の帰り道で商店街を歩いていた。
 そして見たのさ。
 おっさんだった。中途半端に禿げた頭に無精髭によれよれのスーツ、柱時計の下で唾を吐き散らしながら叫んでた。来る、絶対に来る、恐怖の大王は絶対に来るんだ。お前らはみんな俺のことを馬鹿だって思ってるかもしれないが、俺こそお前らを嘲ってやるさ。なんでお前らなんかに、恐怖の大王が来ないなんてわかるんだ。いいか、今日ここにいるやつらはよぉーく耳の穴をかっぽじって聞けよ、恐怖の大王は来るんだ、絶対に来るんだ、世の中ぜーんぶぶっ壊すんだ。来てくれないと困るんだよぉ! そしておっさんはいきなり俺に歩み寄って肩を掴んだんだ。
 なあ、お前だってそう思うだろ、恐怖の大王さえ来れば世の中はもっと楽しくなるんだ、そうだろ?
 首を横には振れなかった。代わりに俺はおっさんを突き飛ばして逃げるように走る。背中からおっさんの声が聞こえる。


春の雪

「春の雪」

 あの子は桃色の墨を枡にたっぷり溜めて筆を沈めた。桃色が滴るのも構わず庭へ飛び出した。暦の上ではもう春だというのに今朝も雪が降り、そこは一面雪景色。あの子は真白な庭に花の絵を描き始めた。桃色は雪を溶かしてぼんやりと霞む。
「ばあ、新しい色!」
 あの子がそう言うからあたしは縁側に藤色、若草色、山吹色……とにかくいろんな色を並べてやった。そしてあの子はとっかえひっかえ色を変えて、雪の原に春を描いた。兎のそれみたいな足跡がそこら中にできた。あたしはだんな様と一緒にあの子の作業を眺めていた。お茶でも淹れましょうかね、と言うとだんな様は、いや構わんよ、と仰った。
 長い冬に完全に閉じ込められる前に取った手段としちゃ少々荒々しすぎたのやもしない、と誰もが思っていた。あの子も、あたしも、だんな様も。けれどあたしたちはそうしなければならなかった。屋敷の離れはとうに凍てついた。あの子の母親も、あたしの息子も、だんな様の奥方も、みんな閉じ込められた。もっともあたしやだんな様はもう先も短いことだし、いっそ閉じ込められても構わないと思っていたのだけども、あの子までそうさせるのは忍びない。だから春を呼んでみようというあの子を止めやしなかった。
「もうすぐできるから待っててね」
 あの子は鼻とほっぺたを真っ赤にしてにっと笑った。あたしとだんな様は声を上げて笑った。縁側の遠くがパキパキと青く凍っていく音が聞こえた。間もなく雪が降る。重たい牡丹雪が春をかき消していく。だんな様は石膏みたいに固まった右手をあたしにそっと見せた。あの子は一心不乱に春を描く。春を描く。菜の花、桜、寝ぼけ眼の蛙に桃色の風。
「ほら!」
 はっと気付いたあたしにあの子が見せたのは屹立するふきのとう。あの子の周りにだけあたたかい陽が差し込んでいる。
 よかったねえ。
 あたしはにっこりと微笑んだ。ほらだんなさまあのこはやってくれましたよとつぶやけたかはさだかではなく。


2009年3月15日日曜日

頭蓋骨を捜せ

「頭蓋骨を捜せ」

「私の頭蓋骨、なくなっちゃったの」
 咲ちゃんは確かにそう言った。咲ちゃんは潜水メットみたいな真っ黒の反重力メットをかぶってる。これがないと重力で目玉や舌が飛び出してしまうんだって。(気持ち悪くてごめんね)
「一緒にさがしてよ」
 手を差し出される。反重力メットに僕の歪んだ顔が映ってる。


 ***

 タイトル競作。○:0、△:0、×:0
 久々? もとい初めて? 無票でした。
 これからは自分の思うところを通していこうと思って書いたものなので、そういう結果もさもありなんという感じ。個人的には清清しくていいなあなんて思っていたりする。

 捜せ、が、探せ、になっていたのは単純に最後まで「頭蓋骨を探せ」だと思っていたからという何とも情けない理由。
 あと、久々に選評をサボったかなあ。今回というか最近は色々思うことがあって、口を開けば多分ロクでもないことを言う自信があったので自省した次第。という言い訳。根本的に面倒臭がりなのがいけないのだと思います。反省しないけど。

 今回頂いたコメントの中でいくつか気になったものについて。

・タイトルの解釈が浅い
 浅かったら何か不都合があるのだろうか。
 ということを何の負け惜しみもなく思ってしまう。なんて開き直り方。
 そりゃ本文に対してタイトルが絶妙な位置に収まれば「ああ巧くタイトルを使っているなあ」と思うけど、作品の価値ってそれだけじゃないよなあどう考えても。結果的に面白ければそれでよし、と考える人間にとってはタイトルとの整合性は作品の面白さを決める一要因に過ぎず、昨今のタイトル偏重の風潮は馴染み辛いなあと思ったりするのでした。これでも大分タイトルに歩み寄るようになったのよぅ(棒)。

・(気持ち悪くてごめんね)の所在無さについて
 所在無くなるように書いたのだから、目論見としては成功なのかな。
 反重力メットのふわふわした感じが伝わればいいなあ。

・何故、頭蓋骨はなくなっちゃったの?
 何故には答えなければならないものでしょうか?(質問返し)
 という風に書くのはさすがに書き手の我侭が過ぎるところだと思うのだけども、そういう風に問われて「はて?」と思ったのもまた事実でした。
 そりゃ世の中には不思議なことはいっぱいあるのだから、ある日突然頭蓋骨だけがぽっかりいなくなることだってあるでしょう。ラクダが悠然と道路を横切って現れることがあれば、たまねぎとラベリングされたダンボール箱五箱を盗みたくなることだってあるでしょう。それ以上でも以下でもなく。
 言わんとするところは「いさやの書くものは突拍子も無さ過ぎて読み手が置いてけぼり」ということなのだろうけども、少なくとも今回はそうするって決めたのだから、まあやむなし。やっぱり我侭が過ぎるなあ。

 という風にたらたらと書き連ねる辺りはやっぱり機嫌が悪いのだと思います。お粗末。





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 なんで頭蓋骨がないと困るかって? だって、このまま死んじゃったら、私は首なしの骸骨になっちゃう。私の首を愛してくれる人がいたら、その人に申し訳ないじゃない。
 洞窟の奥に捧げられた咲ちゃんの小さな頭蓋骨。祠の神さまと添い遂げるの、ときらきら輝く。
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