2007年6月30日土曜日

G線上のアリア

「G線上のアリア」

 荒風が広大な砂漠に作る波紋は五線よりも遥かに多い無限の線譜となって現れる。畝のように。CからBの七色の音階の合間を、ずっと僕と砂鯨は風と同じ速度で航行していた。
 しかしある日砂鯨は死んでしまった。彼自身気付かぬ間に毒虫に噛まれ、そしてあっけなく死んでしまったのだ。
 三日後、北の方から白服の一団が砂舟に乗ってやってきた。一団は砂鯨の巨大な身体を骨と肉と皮とその他に分解する。
 彼らは皮と骨でドラムとティンパニを作った。髭のハープに背骨のたて笛、これら砂鯨の楽器を伴奏に白服の少女がアリアを唄う、無数の星空の下。星々の一つ一つを地表の無限線譜に射影して一夜限りのスコアが出現する。地の果てまで砂漠中全てを埋め尽くす、星の数と同数の音符を彼らはなぞるのだ。その狭間で僕は膝を抱え少女のアリアに耳を傾ける。
 夜が明けると僕は砂鯨の耳骨以外の全てを一団に譲った。
「街まで送るわ」少女は言った。
 僕は舟べりで砂面を撫でる。耳骨に耳を当てれば昨夜のアリアが蘇る。




 G線上のアリア~。由来を調べてみるに、G線だけで弾けるからG線上のアリアなんだと。へぇ。
��タイトルとまるでお門違いだけども、書いてしまったものはしゃーないのです。これと別の話はかけませぬ。)

 次は「遺書と嘘」


2007年6月26日火曜日

乗り損ねたバス

「乗り損ねたバス」

 バスに乗り損ねた。
 白煙を吐きながら遠のく背中を見ていたら急に何もかもがどうでもよくなった気がして、バス停のベンチに腰掛ける。
 無音。
 朝の静謐は発見であるのに、なぜだか懐かしい。塀の上を歩く野良猫の欠伸、いつもバスですれ違う小学生の列、最後尾の一年生の女の子は昔隣家に住んでいた子によく似ている。他の子とは歩幅が違うので時々小走りにならなければならず、しかしそれに前の子たちが気付く気配もない。私はがしゃがしゃ鳴る赤と黒のランドセルと、それぞれにぶら下がる白い給食袋を角に曲がって消えるまで見送った。
 それとすれ違いに男子中学生が歩いてくる。だらしない格好だった。さらにその後から三人組の女子高校生たちが喧しく私の前を通り過ぎ、中年のおばさんが何人か徒歩や自転車で目の前を交差する。
 驚いたことに私の知っている人は一人もいなかった。知っている人たちは皆どこかへ行ってしまった。時刻表を見る。あと十分で次のバスが来る。
 電車の乗り換えの時間を計算していると隣に禿頭の老人が腰掛けた。グレーのポロシャツ、グレーのズボン。皺くちゃの手は祖父を思い出す。しっかりした顎のラインを見てますます似てるなと思い、つい話し掛けようという気になるが、朝の密やかで奇跡的なバランスを崩してしまうような気がして躊躇われる。間もなくバスが滑り込む。
 私が立ち上がろうとすると老人は無言で私を遮り、一人だけバスに乗り込んでしまう。呆気に取られているうちに私は再びバスに乗り損ね、その背中を見送る羽目になったが、白煙の垣間から見える行き先は【世界の果て】だった。寸分違わずやってきた本物のバスの行き先が【○○駅南口前】であることを確認して乗り込み、座席に腰掛けふと見遣ったバス停の名は【懐かしい記憶】。遠のく景色を私はいつまでも見つめている。




 向山貴彦/文・宮山香里/絵「童話物語」を読む。
 ジェットコースターみたいに感情を揺さぶられた本編もさることながら、周辺設定の一々がホントに素敵。
 心込めて書いた(描いた)んだろうなー、と思って色々調べてみたら案の定。本の外にまで物語が溢れてるのは素敵ですな。

2007年6月19日火曜日

ルームナンバー13

「ルームナンバー13」

 13番目の部屋には創作者が住んでいた。
 創作者は壁に描かれた無数のテレビを眺め日長一日暮らしている。テレビのめいめいが映像と音声を受像し唄い、傍らではプラスティック・ガールが創作者の世話をしていた。電話がりんりんりん鳴る。
「はい……はい……はい……失礼します」
 プラスティック・ガールは受話器を置くと創作者を振り返り、
「明後日、新しいトースターが届くそうです」
 先日、創作者とプラスティック・ガールが街へ出たときに見つけたものだった。真っ赤な方形で、二枚同時に焼けるものだ。
「わかった。
 ――ああ、そうだ。それが終わったらちょっと街へ出ようか」
 はい、と返しプラスティック・ガールは食器洗いに戻る。創作者は彼女の背中を見つめ、透明ですべすべなその手でスポンジをあわ立てる様を想う。トースターを買いに行った折、彼女が水星人の七本の爪に塗られた赤く艶やかなマニキュアを物欲しげに盗み見ていたのを創作者は思い出したのだ。
 創作者は食器の擦れ合う音を遠くに聴きつつソファーに深くもたれる。緩やかな眠りに滑り込む。窓辺近くのテレビの一つが「昔懐カシキ、ボサノヴァ」を唄っている。sweet,sweet...


2007年6月18日月曜日

留守電メッセージ

「留守電メッセージ」

 夫婦喧嘩をした。浮気するなんて、と妻が暴れている。
 その様子を椅子に座って眺めていると、受話器が生えた割れた皿の隙間から「今度はいつ会えるの?」がとことこ歩いてきた。はやく行っちまいな、とジェスチャーすると、それはしたり顔で目を細めた。確信犯か、やれやれ。
 信じてたのに! あ、オーディオが床に落ちた。
 ポケットの中で「旦那と別れてこっちに来てくれ」が縮こまって震えているのを感じながら妻の安っぽい演技を眺めている。


2007年6月12日火曜日

思い出せない約束

「思い出せない約束」

 廃駅のホームのベンチで老人が杖をついて座っている。人を待っているのだ。駅前の商店街は元々あって無いようなものだったが、それすらもとうの昔にうち捨てられていて、今では青青とした草草に覆われた草原となっていた。建物は全て破壊されていたがホームのコンクリートだけは取り残され、結果ホームのベンチからは見渡す限りの緑と、それ以外を占める空の青だけが見えるのだった。老人はベンチに杖をついて座っている。
 風が一度吹くと、それは草の頭を撫で軌跡を明確にする。春の日差が照り返し、光の波が走り抜け、そのまま山を越えて海に至り、折り返して海風が山で潮気を抜いて返ってくるのだ。
 雨が降れば一面灰色の景色となる。強さの度合いにもよるが、殆ど晴れに近しいときなら眩い雫がいくつもいくつも無数に降り注ぎ草葉を湿らせた。青臭い、湿った匂いも急激な気化によって鳥が飛ぶような高さまで上り拡散するのだった。
 そして、夜になると一台の列車がヘッドライトで夜闇を掻き分けホームに滑り込む。煌々と黄色い灯りを零す窓辺には何人もの人が見えていて、列車はブレーキに身を軋ませ、ぶるん、と震えるとどくどくと乗客を吐く。めいめいが身体に煙草の匂いを染みこませており皆無言でホームを下りてゆくのだが、その中には婦人や学生、乳呑児まで含まれていて紺色のスーツの中では目立って見えるのだった。すっかり身軽になった列車が再び身を軋ませ発車すると、後には何も残らない。山から吹き降ろす風はかろうじて残る人の気配を無遠慮に吹き飛ばしてしまうのだ。老人はベンチに杖をついてながい夢を見ている。
 ホームの隅に溜まった水がコンクリートを浸食し、草がひびを作り広げる。いつかホームは崩れそこはまっさらな草原に変わるだろう。杖と華奢なペンダントが十歩と離れていない距離で落ちていることを知るものは未来永劫現れない。


2007年6月5日火曜日

そこにいる

「そこにいる」

 一面黄金色の麦畑を腰まで浸かり、風に背中を押されてふらふら歩く。空は青く果てしなかったがだんだん曇りたちまち雨となる。ざああ、ざああ、と麦穂は頭を垂れるので何だか淋しくなって私もしゃがむと、カエルが黒いこうもり傘を持って一匹また一匹、麦穂の間を縫って踊っていた。五拍子。タンタンタタタン。
 雨が上がったので私は立ち上がり再び歩く。雫が光を受けてますます輝き思わず目を細め、しっとりと湿った風と共に彷徨った。麦畑はどこまで行っても続き、太陽はいつまでも中空を漂うので方角もわからないが、ただし黄金色の麦穂の波は幾重にも重なり私を追い越していく。波に身を委ねたい衝動に駆られ、ついに任せてしまうと後は楽だった。私は波に乗り、一面黄金色の麦畑を風の速度でどこまでもどこまでも駆けて行く。しかし耳を澄ませば五拍子のリズムが微かでも聞こえてくる。タンタンタタタン。


2007年6月4日月曜日

「丸」

 夕陽を背負う真っ赤な坂道を真ん丸な人や犬猫がころころ転がっていく。てんてんと跳ねる彼らはみんなにこにこ。


2007年6月3日日曜日

懺悔火曜日

「懺悔火曜日」

 一人の人間が懺悔するとして、開始から終了(その件に関する懺悔を止めるまでとする。自殺の場合も含む。)までに実際に口に出した語と心中で発した語の総量の平均を1懺悔とし、それを分で割ったものを1単位懺悔と呼ぶ。一般的に、一人の人間が抱えられる懺悔量には個人差はあれど有限とされており、年齢の経過と共に変動しその変動パターンにもまた個人差があるとされている。単位懺悔量については十代後半から三十代頃までが最も多く、以降は思想の固定化等の要因により逓減するとされている。また、複数の件について同時に懺悔をする場合、相乗効果の発生も確認されている。
 懺悔火曜日、人々は懺悔をする。エージェントDの仕事は三鷹駅前に立ち、研究所が開発した特殊フィルターを用いて人々の懺悔を監視することだった。Dは帽子を目深に被り、休むことなく数字を記入する。
 その日の夜、Dは研究所にデータを送り、私信も添えた。
「懺悔火曜日を宣伝した当初に比べて、各曜日間の総懺悔量に差がなくなりつつあるみたいだね」


2007年6月1日金曜日

冷たくしないで

「冷たくしないで」

 温帯の空気が居心地良くなった缶ジュースが自動販売機に入るのを拒んでちゃぷちゃぷ言わせている。缶コーヒーはそ知らぬふり。