2008年8月25日月曜日

眼玉

「眼玉」

 仰向けに手首手足の折れた四肢が繁っている。夕風が吹くと、秋のすすき野に似て四肢がゆらゆら揺れる。
 やがて日が暮れ月が出る。と、そこら中のてのひら足のひらがぱっくり割れて眼玉が咲く。眼玉どもは視神経の限り伸びてはぎょろぎょろと何かを探し回っている。やがて対象を見つけ、一斉に凝視する。
 それがあなただ。
 眼玉どもは一気に膨れ、弾け、灰を空一面に撒き散らす。そうしてあなたは受粉しそこに根を下ろす。






 根を下ろす、に字義以上の意味を込められたら勝ち。

「怖いって何だろう?」キャンペーン(?)




 怪談については知識が不十分すぎて考察もまともにできないのだけども、怖い、という感覚についてならかろうじて。
 結論から述べると、「怖い」には大よそ二種類あって、一つが“心に一生モノの傷が残るようなシャレにならない「怖い」”。もう一つが“うっとりとして惹き付けられるような魔力を持った「怖い」”。これは「幽」という字に相当するのだと思う。
 前者が人間としての生物としての本能に訴えかけてくるレベルなのに対して、後者は情感や心の琴線に迫る類のものなのかなあ。特に後者は幻想系と親和性が高いのだと思う。
 もしこれからも「怖い」話を書いていくのなら、やっぱり後者を目指したい。
 ということを再確認する。

2008年8月22日金曜日

猫の卵

「猫の卵」

 娘が持って帰ってきた卵は握り拳大の大きさだった。娘はにこにこしながら言う。「幸子ちゃんがくれたの。一ヶ月くらいで生まれるんだって」何が、と訊ねる。猫。娘はにこにこしている。
 私は娘に対して思いつく限りの説得を試みる。猫は胎生であるから卵からは生まれないこと、例えばペンギンの夫婦が昼夜通して温めてやっと卵が孵化するように卵の世話は非常に大変であること。しかし結局娘の意思を挫くことはできなかった。夫もやらせてみればいいじゃないか、命の重さを云々と呑気なことを言う。かくしてリビングの片隅に、底にタオルを敷いたダンボールがちょこんと鎮座するようになった。どうせそのうち飽きるだろうし、何よりも孵るはずがない。私はそう鼻を鳴らすと大きなお腹を抱えて掃除機を転がす。
 娘の卵の飼育は寝起きと同時に始まる。布団から卵のもとまで一直線に駆けつけ、被せていたタオルをどけると卵の殻を一所懸命にこする。早く生まれてね、など声を掛ける。ようやく学校に行かせても、午後にはまっすぐ家に帰ってきて卵の前にへばりつき、そのまま寝るまで動かない。初めの頃は友達を呼んで卵を自慢していたが、二回か三回ほどでぷっつりと友達が来なくなってしまった。それに比して娘は卵の飼育にのめりこむようになる。
「ねえ本当に生まれるの?」
「生まれるもん」
 私が卵に触ろうとすると娘は文字通り牙を剥いて怒り狂った。
 やがて一ヶ月が経つ。猫の卵は孵らない。ほらやっぱり駄目だったんだよ、と私が言うと娘は涙目でこちらを睨み、せっせと卵を擦る。その背中を見ながらため息をつき、幸子ちゃんも余計なことをしてくれたもんだ、と思う。私のお腹も随分大きくなって出産も近いというのに、何だってこんな面倒臭い話を抱えなければならないのだ。
 それから更に半月が経ち、娘の飼育の熱中っぷりは常軌を逸脱し始める。目の下に隈を作りおぼつかない足取りで学校に行き、卵を擦っているときもうつらうつらと舟を漕ぐのにうっすら開いた瞳には鬼気迫るものがある。何が娘にそこまでさせるのか。私は怖ろしくなる。夫にも相談したがその呑気さにかえって苛立ちが増してしまう。娘にも遠回しにもう諦めるよう言ったが、聞く耳を持たない。もう出産も近いのに何だってこんな面倒な話を――。
 きっかけは思い返せばおそらく些細なことだったのだろう。私は娘と大喧嘩をして、勢いに任せて娘から忌まわしい卵を取り上げた。娘の泣き叫ぶ声も遠く、裸足のまま庭に出ると硬そうな箇所を選んでそこに卵を叩きつける。思いっきりやってやった。腐った黄身がどろりと広がって異臭を放つがそれすらも心地よい。それに娘のあの顔と言ったら!
「猫は卵から生まれなんかしないし、この卵だってとっくの昔に死んでたの!」

 一週間後、私は出産をする。安産だった。あらゆる頭痛の種から解放され、新しい家族も無事迎えることができ、涙と鼻水でべとべとの夫を慰め私はとても満ち足りた心地でいた。娘もあの日以来憑き物が落ちたように以前の明るさを取り戻し、今は夫と一緒に生まれたばかりの息子をじっと見ていた。ねえ、触ってもいい? 優しくやるんだよ。うん……。
「ちょっと飲み物買ってくるよ」
 夫が軽やかな足取りで部屋を出て行く。開いたドアの隙間から看護士の人たちがパタパタとスリッパを鳴らして往く音がするがそれもすぐに止む。静寂。私は長い息を吐く。緊張の糸が解れ、うとうととし始める。
 ……やっと会えたねぇ。娘の囁くような声が聞こえる。それに答えるように息子が高い音で鳴く。にゃぁ、と聞こえたのは気のせいだろう。




 ビーケーワン怪談大賞没作。
 理由:字数大量オーバー

 怪談大賞ついでに発掘ー。

第6回ビーケーワン怪談大賞

 第6回ビーケーワン怪談大賞
 この度、拙作「傘の墓場」で優秀賞を受賞させていただくことになりました。
 と言っても、「これは勝てない参りました」と思うような力作(金子みづはさん「燈火星のごとく」立花腑楽さん「黒い果実が揺れていた」などなど)があった中での“優秀賞”であり、何がどう評価されたのかさっぱりわからない状況だったので喜ぼうにも喜びきれず……という具合でした。
 が、選考会議レポートを読んでとりあ、えず、納、得…………?(身に余りまくりの栄誉なので取り扱いに困ってます)
 自分自身、参加者が300人を越すような賞(心臓タイトル競作の約十倍の規模!)で優秀賞の座につけるような器じゃないと思っていますが、有名無実で済ませるのも何だか癪な話なのでこれからもっと力を付けにゃあなと思う次第です。

 飛雄さんの「朝の予兆」は読み返す度に箸が脱皮するという予兆が効いてるなあと思う。箸が折れたり伸びたりするんじゃ駄目で、表皮がずるずる剥けて真っ白な箸がねっとりと光ってないと、ここまでえも言えぬような予兆にはならなかったんだろうなと。
 その他作品についても、やっぱりレベル高いなぁ……。肩身が狭い。



 ブログ等で言及して下さった、タカスギさん、楽志さん、腑楽たん、不狼児さん、さかなさん、あきよさん、空虹さん、ひょーたくん、水池くん、ありがとうございます。
 思い返せば三年前の千文字オフでタカスギさんに心臓に誘われてなければ今はなかったわけで、とにもかくにも人に恵まれてるなあという印象。ディスプレイ一枚隔てて、タイトル競作や自由題で同じ立場で力のある人たちと競争できる環境は本当に稀有だと思う。
 んー、もっとがんばろう。
 あと、ねたかんからの惜しみない賞賛と嫉妬の声は複数県跨いだ彼方からでもビンビン感じます。
 ありがとうありがとう、ねたかん!

2008年8月15日金曜日

擬態

「擬態」

 景色だと思っていたものは、実は全て擬態した虫だった。
 女が笛を吹いて魔法を解く。四方を囲んでいた硝子のビル群はたちまち白い蝶に解けて空に散り行き、道行く人も頭から蟻の群となり崩れ行く。女はなおも笛を吹き、魔法を解き続ける。一体どこまでが魔法なのだろう。あらゆる擬態が暴かれたにも関わらず、侵食は止まらない。すっかりまったいらになった地平の、半球状の空が天頂から解れていく。空のあの青はシジミ蝶の青だったのか、と感心する傍から覗いた穴には無数の星が瞬く。それが蛍であると気付くのに時間は要らなかったのだけれど。
 地面も消え失せた。女は面を上げ、僕に選択を強いる。
「最後の魔法を、解きますか、解きませんか」
 はい、と頷く僕に迷いはない。





 過去の日記を大量整理。具体的な変更点は以下の通り。

・書き物のフォーマット統一
・便乗して若気の至りをなかったことにする

 以上。

2008年8月8日金曜日

ノイズレス

「ノイズレス」

 音が消えた。何の前触れもなくぷっつりと。
 世界から音が消えたとき、世界中が混乱に陥った。これはどこぞの国の陰謀だ、いや宇宙人だ、という議論があちこちで巻き起こった、筆談で。他にも窃盗が横行したり、蝙蝠がふらふらと住宅街を飛んだりする。世界は静かに大いに狂っていった。
 音が消えた半月後、匂いが消えた。やはり何の前触れもなく。

 思い立って外に出る。天気が良いから気晴らしに公園まで散歩するのだ。それでもふとした拍子に考えてしまう。次は何が消えるのだろう。その答えはベンチで飲み物を飲んでいるときに得る。味覚だった。気付いたらお茶は冷たい何かに変わっていた。
 僕は公園を飛び出し辺りを見回す。都心の方から空が色を失っていくのが見える。雲の白でさえも色彩を失い、のっぺりとした白黒の膜が空と地面を覆っていく。瞬く間に僕も飲み込まれ、まだ色彩の残る方も駆け足に侵食されてゆく。それだけではない。その白黒でさえもすうっと薄らいで消えてゆく。煙が空に拡散するように、景色が溶けてゆく。そして自分自身もまた。
 反射的に地に手を突き感触をまさぐる。手の平に食い込む小石の感覚を、重力の鎖を記憶するのだ。空に浮かんでしまう前に。




 タイトル競作「ノイズレス」○:2 △:1




 このタイトルで最初に思いついたのはヘレン・ケラーだった。けど、ヘレン・ケラーに関してはあまりにも無知だったし、もし仮に十分に知っていたとしても易々と手出しはできなかったろうなと思う。
 そんなこんなでうーんうーんと難産した結果がコレ。
 お粗末さまでした。

2008年8月6日水曜日

ほとんど私信だけど

 自分用のメモ代わりも兼ねて。


 ひょうた君の「天然ココア~」の中で言及されていた
> 余談だが、白縫いさやの作品は、話の雰囲気に関わらず強い光で色彩豊かに感じる作品が多いのだけど(作中にも極彩色、なんて言葉がたびたびみられる)これはずいぶんと暗い鬱蒼とした色合いで、おぉ、新境地?!と思った。
 について。

 色彩が多いのは完全に個人的な嗜好。普段生活していても、彩が綺麗なものにはつい目が移る。その癖が如実に現れてるんだねぇ。
 基本的に明るい色、淡色系が好きだけども、鬱蒼とした感じも実は嫌いじゃなかったり。色は色なんだぜ。本当の意味での無色は……書くのかなあ、どうなんだろう。縁があれば書くんだろうなあ。
��ちなみに「極彩色」は直接的過ぎてこの頃は使わなくなったけど)




 ちょっと前までは書き物と言えば心臓の中で完結していたのが、この頃はそうでもなくてふわふわした心地。まぁやってることは相も変わらずキーボードをぱちぱち叩くことだけなので、実は何にも変わってないのかもしれない。気の持ちようだよね、気の持ちよう。

スピカ

「スピカ」

 麦の穂を手にした女神が天頂に穂を挿し祈る。地上からは逆さに挿さって見えているが、爆発的に広がる麦穂はたちまち四方の空の境界まで迫り、黄金の海に変貌させる。
 たわわに実った麦の穂が風を受けて頭を垂れると、西から東、北から南、光の波が走り行く。
 やがて東の空から舟がゆったりと、豊かな風を帆に張って現れる。そちらの具合はいかがでしょうか! 問いかけられて手を振り答える。変わりないです、なあんにも! では三日後に伺いますね! こうして我らは、彼の国の者と貿易をする。彼らの麦は地表の麦とは違うのだ。地表の麦は胚を持たず枯れ行くのみで、時折麦を仕入れて我らの暮らしが成り立っている。
 交換は平野の塔で行なわれる。塔の頂で鴉によって物品を双方の地へ送りあう。海神の糸で織った紗は気に入ってもらえたようだ。
 舟が天球をなぞって西へ落ち行くと、一夜のうちに麦穂の海はうっすら消えて元の空へと戻るのだ。あの星空に再び女神が穂を挿すのは、また一年後。





 いつかのエクストラマッチで書いた「スパイカズスパンカー」を思い出す。

 日記に埋没する前に発掘発掘。

旅行記

「旅行記」(仮)

 景色に憧れて旅に出た。遠くの景色が好きで、もっと見たくて、旅に出た。道中の寝食のことなんてこれっぽっちも考えてなかった。でも構わなかった。それが五年前のこと。
 初めて日が昇る瞬間を見た。空の一方はまだ夜の気配を残しているのに、もう一方はほとんど醒めかかっている夢のように淡い藤色と朱色が溶け合っていた。映える雲は陰影鮮やかに空に漂っていた。今か、今か、と待つ。しかしその瞬間は七色のテープを切って訪れるものではない。ふと瞬きした瞬間に、微かな息をこぼした瞬間に訪れるものだから。目を細めながら、ひっそりと息を潜めて、私はその瞬間を迎える。それが三年前のこと。
 森を抜けると雪国だという。気配は感じていた。鼻腔を通る空気が凛と張り詰め、じんわりと湿っていた土がいつしか、パリ、サク、と硬さを持つようになっていたから。森の出口はほんのりと明るくて、歩くたびに近付く光と歩くたびに遠のく暗闇と、私は光への渇望に惹き付けられて彷徨していた。そして私は森を出た。雪原。銀色の曇り空と、銀色の雪と、銀色のぼたん雪に迎えられて私は雪国へやってきた。雪はふんわりと舞い、月の光を受けてぼんやりと光っていた。そう、月の光! 夜になっていたことにそのとき気付いた。ならば森の出口で見たあの光は雪原に月光が照ったものだったのかと思い直す。改めて見回してみれば合点のいくこともある。銀色の雪原が銀色たるのは月の光のせいだったのだ。草は頭まで雪に埋まり、全ての動物が春までの長い眠りについている――比喩ではなく真にここは夢の中じゃないか。それは何だか荘厳な心地で私は身動きできずにいた。吐息の白が宙で霧散する。それが一年前のこと。
 花畑の真ん中に取り残された村があり、その村では間もなく祭りがあるという。季節は春で、色とりどりの花々が爆発的に咲いていた。くらくらするような芳香の中を村人は台車一杯に花を盛り、通りを行き交いながら祭りの準備の仕上げに取り掛かっていた。宿の二階からその様子を眺めながら視線を花畑へ向ける。種類毎に植え分けず、ただ咲くがままに任せた花畑は一見すると何色かわからない。モザイクのように雑然とした様の中にも、ぼんやりと眺めていれば教会や女のもの哀しげな横顔が浮かんで見えたりする。ただの錯覚なのだけど。でもその錯覚の中にまだ私の見たことがない世界があるかもしれない。そんな風に思うととても目を逸らせない。それが昨日のこと。
 りんご林を見下ろす丘を歩いている。風がりんご林を撫ぜると甘い香りがふんわりと押し寄せ夕暮れのひつじ雲の方へ流れてゆく。柔らかな綿毛を桃色に染めたひつじの群が行く先は、遥か彼方の海原だ。夕陽を右手に据えながら歩いていると子供に戻った心地がする。あのときの自分は世界のことなんてこれっぽっちも知らなかったけれど、きっと空は今よりも大きく見えただろうし、風の香りももっと瑞々しかったに違いない。世界を知るほどに世界が狭くなる。きゅうっと心が締め付けられる。でもそれが私が選んできた道の行く末だったのだから。それが誇らしくて、少しだけ寂しい。しかし今は「大丈夫だよ」と言って手を取ってくれる人がいる。私はもう一人じゃない。大きくて暖かい手は幼い記憶の父のそれとは違うけれど、私はこの手が大好きだ。それはきっと一年後のこと。
 船に乗った。大きな船だった。七度の昼と、七度の夜を越えて船は大海原を行く。退屈な日々を人々は語らい過ごす。それが三年後のこと。
 世界の果てにやってきた。そこには世界の全てがあった。世界の果ての博物館で、館長の老人があらゆることを教えてくれる。世界の始まりのこと、世界の外のこと、長い長い世界の歴史、矛盾を解きほぐす糸口の話。それが本当のことかなんて誰にもわからない。だけど私たちは老人の語り口にぽうっと聞き惚れ、その乾いた唇から零れる皺枯れた声を魔法のように思うのだ。世界の果ての博物館。そこには全てがある。世界の果ての岬にあり、その先は虚空の闇が広がっている。これ以上先には行けない、と館長の老人は言ったのを思い出す。なぜなら私たちは人間だからだ、と。世界の外に出られないことを口惜しく思うと同時に、行けるところまで行けたことが嬉しかった。何をするでもなく私は岬の先端に腰掛け虚空の闇を見詰めていた――いつまでも。それは五年後のこと。
 ふう、と息をつき筆を置く。気付けば日が傾いている。私は旅行記を閉じると鍵をかけ、本棚の隅に押し込んだ。んっ、と呻いて伸びをすると手すりに手をかけ身を乗り出す。いつもと変わらぬ夕陽が空を茜色に染め上げ、その夕陽を小鳥の群が横切る。辺りを見回してみれば祭りの準備もあらかた出来上がっており、村の門に飾るアーチを男どもがえっちらおっちらと運んでいるところだった。その中に愛しい人がいる。声を掛け手を振ると、たちまち辺りから野次が飛ぶけれどそれすらも楽しい。
 私は結局旅に出なかったけれど、後悔はしていない。いつかの未来に旅行記を見た私は苦笑し懐かしむだろう。そしてきっと、子どもには見せない。






 一つの区切り。

花の祈り

「花の祈り」

 明日の結婚式で使う花のヴェールを作るために教会裏の花畑に行くと、一人の見知らぬ少女が海に向かってひざまついているのを見つけた。少女は手を組んで一心に何かを祈っている。誰か大事な人の帰りを? 遠い誰かの幸福を? 病床の誰かの回復を?
 人は自分のためには祈らない。祈るのは自分ではない誰かのため。自分の手の届かない誰かではあるけど何とか手を届かせたくて神の手を借りるのだ。しかし神は誰に対しても公平であるから、特定の一人の人間のために御手を煩わせるなんてことはしないとぼくは知っている。あの子はそれを知っているのだろうか。いや、知らないからああも無垢に祈れるのだろう。
 海風が吹いて色彩鮮やかな花弁を空へ攫っていく。教会の十字架を越えて遥か彼方へ。
 少女が立ち上がる。その手にはささやかなブーケが抱えられている。ああ、彼女も結婚式に来るのか、と気付く。少女は立ち上がったもののぼうっとした風に海を眺めていたが、やがておもむろにふっくらとした唇を小さなブーケに寄せると、桃色の頬を緩ませた。歩をこちらにむけたところで僕が見ていることに気付くと俯いてしまう。すれ違いざまに、失礼します、と口早に呟いた。
 誰もいなくなった花畑は心なしか寂しく見える。明日の結婚式は晴れるだろうか。西の空に手早く手を組み、ささやかな祈りを捧げる。捧げずにはいられない。




 同題の音楽を聴いていて。