2010年1月12日火曜日

暁の真ん中で

「暁の真ん中で」

彼が磔にされてから幾日も過ぎた。その度に彼は日が昇る様を見てきた。太陽は常に彼の眼前に迫り上がってきた。夜を加速度的に駆逐し、その暴力的な眩しさでもって彼の眼を貫いた。彼と太陽の間を遮るものは何もなかった。夜半に激しく降った雨でさえも暁の間だけは遠慮した。太陽との対峙には何らかのメッセージがあるのか、彼は茫漠とした思考をさ迷うが一向に解は得られなかった。
そして今日もまた日が昇る。永く果てしない夜が終わる。一夜一夜がそれぞれまったく異なる種類の旅であったが、夜明けが近付くにつれて夜の旅路は太陽との対峙の一点に集約される。明けない夜はないのだと思い知る。自転の速度を体感する。太陽の足音が地平線の彼方から聞こえてくる。星は居場所を失い薄らいでいく。彼の眼球は動きを止め視点は一点に固定される。じりじりと夜が駆逐されていく。何物も侵攻を阻めない。夜が明ける。あらゆる意思を無視して。乱暴に、公平に。

��**

というわけでひょーたくんのお題は一通り終了。


2010年1月9日土曜日

読書の残骸

「読書の残骸」

たとえば読み落とした文字や言葉。「リリコの素敵な靴」と「リリコにとって素敵な靴」を厳密に読み分ける人は少ないだろう。思い出そうとしてみて、あれどっちだったっけ、と考え間もなく、どっちでもいっか、と思うものである。大抵の人にとってこの場合肝心なのは、その靴がリリコに帰属されるもので、リリコはその靴を素敵だと思っていることを読み取ることだからだ。
そんな風に、この世には読み手(特に乱読家!)に読まれもしなかった文字や言葉が少なからずある。読まれた文字がむしゃむしゃと消費されて虫食いになるとしたら、その残骸の存在はより顕著になるだろう。

そんな文字や言葉を集めて、粘土みたいにこねてオブジェを作ってみる。
��冊の本の残骸からn+1冊目の本ができることだって、たぶん、ある。


暗夜回路

「暗夜回路」

僕らは暗闇の中に機械的に割り振られた点であり、巨大なモニターに映り出された1ドットである。彼らには道が見えていて、僕らには見えていない。彼らにとって僕らの彷徨は不思議で興味深いものであるから、彼らは僕らの動きから何らかの規則性を見つけ出そうとする。
どこへ行けとも言われていなかった。しかし立ち止まるなと言われた。歩け。とにかく歩け。歩け、歩け、歩け。
これは人生に似ている。キャリアに似ている。終わりのない会話にも似ている。
回路は複雑で、あっという間に自分の居場所がわからなくなった。何度も同じ場所を歩いていたのか、回路全体の1パーセントも歩けたのか、何もわからない。今さっきあるいてきた道さえも。
地面はあるらしい。壁もあるらしい。たぶん天井もあるのだろう。けれども僕らの視界には暗闇しかない。あると思ってるだけで本当は僕らというものもないのかもしれない。


2010年1月4日月曜日

最後の楽団

「最後の楽団」

いくつもの楽団がめいめいに音楽を奏でながら連なるパレード。楽しかったパレードのエンドロールを担当するのは最後尾の務めである。一際愉快にラプソディ・イン・ブルー。大太鼓とシンバルが交互にどんしゃんどんしゃんと。
また来てねぇー。
良い子は早く寝るんだよーぅ……。
音が静まると夜が来る。静寂がおしまいの歌を歌っている。


胡桃割り人形の錯乱

「胡桃割り人形の錯乱」

胡桃とは彼の本質の半分を形成する要素である以前に、一果実であるため、この世の全ての胡桃を残らず割り尽くしてしまえばもう二度と新しい胡桃が得られなくなるのは道理だったのだ。そんな簡単な事実でも彼を絶望させるには十分だった。しかしいつまでも突っ伏しているわけにもいかなかった。彼は胡桃に代わるものを探した。飴玉、巻貝、チェスの駒。いずれも何かが違った。胡桃の代わりにはなりえなかった。しかし古を懐かしんでも胡桃は帰ってこない。かくして彼はその顎に挟めるものを次々と試すのだ。石炭、小動物の頭蓋骨、リップクリーム……。彼自身も自覚していないことだったが、彼はこのようにして胡桃というものが永遠に失われてしまったことを悲しみ、また、自己を回復させる試みを続け、そして胡桃割り人形からの脱却を模索しているのである。

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広辞苑第五版先生曰く、胡桃は果実である。へぇ。
また、「【果実】種子植物の花が受精し、その子房および付随した部分の発育・成熟したもの。中に種子を含む。」ということなので、「果実⊇種子」ということになるのかしらん。
胡桃はいわゆる種子なのかどうか迷ってしまいましたことよ。

2010年1月3日日曜日

オレンジ色の人

「オレンジ色の人」

夕日をつまんで引き寄せ、ハサミで人型に切り取るとたぶんこんな風になるのだろう――。
その時私はとても冷静だった。ひっと息を呑んだ弟を背中に隠し、のっぽなそれを見上げていた。視界の端に鋼鉄のシャベルを確かめた。いつでもそれで弟を守れるように。砂場で静かに火花を散らせていた。
私はそれをオレンジ色の人と呼んだ。弟はまったく覚えていないという。おそらく実際のところも、近所のおじいさんが様子を見に来たとかその程度のものなのだろうと思う。昔殺したミミズが化けて出たのだと考えたこともあった。けれど真実は誰にもわからない。蜜柑を食べて黄ばんだ指先を見ると今でも鳥肌が立つ。

��**

三が日は今日まで。
明日から本気出す。いやマジで。

沈殿都市

「沈殿都市」

湖がある。
「あすこに都市が沈んでいます」
ぴっと示された指の先には湖。
「私が入国管理官です。入国をご希望ですか」
――違います。
「通りかかっただけですか」
――はい。ところで入国を希望する人はいるのですか。
「少なくともこの十年はいません」
――都市は湖の底に沈んでしまっているから。
「しかしそれと入国希望者が今後一切現れなくなることは別の話です」
――まっとうな人間なら息のできないおそらく無人の都市に足を踏み入れる理由はないでしょうし、そもそもあなたが仕える国そのものもが既に消滅してしまっているように思うのですが。
「私の給金は毎月自動的に私の銀行口座に振り込まれており、解雇通知も受けていない以上、ここで一日中私自身の役目を果たすことこそが私の本分なのです。それに、私がここを離れてしまえば、入国希望者を応対する者がいなくなってしまいます。たとえ今まで十年間入国希望者がいなかったからといって、どうして十年と一日目に入国希望者が訪れないと言い切れるのでしょう。……現実的に整合性があるかどうかという話ではないのです。その振り子が止まってしまっても時計の歯車はじっとそこにとどまり、いつか振り子が再び揺れだせばその歯車はまた働き始めます。そのいつかが永遠に訪れないとしても、歯車はそこに居ることが本分なのであり、足を生やしてその場を離れてしまったらもはや歯車としての本分を果たせなくなるでしょう。それだけのことなのです」
――そうですか。
腕を綺麗に四十五度に傾けた敬礼に見送られてその場を後にする。



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たとえば夏の蒸し暑い日には、蜃気楼が立ち昇り沈んだ都市が投影されることがあるという。私が感嘆をこぼすとその入国管理官は、「それが夕刻に出た日など、都市の方から飲みに誘われることがあるので、ふらふらついて行ってしまうことがあります」
と言った。