2021年6月26日土曜日

希望

 森を抜けると小高い丘があり、その頂にはぽつんと小さな椅子がある。新緑のなかにあって、それはずいぶん年季の入ったもののようだった。
「あれは玉座なのです。かつてここにあった国の」
 そう語ったのはツアーガイドの青年だ。
「その国の人々は皆勇敢で心優しく、自らが犠牲となることを厭いませんでした。自分の命が子供たちの、未来の糧になると信じて、敵兵の前に立ちはだかり、自らの食料を分け与えていきました。そうして最後の一人を残して、皆残らず死んでいったのです」
 青年は椅子を指さした。
「最後の一人は年端もいかない男の子でした。姉が遺してくれたパンを、あの椅子に座って食べました。それから三日三晩、椅子に座っていました。言い換えれば、四日目に彼は椅子から立ち上がったのでした。そうして国は滅んだのです」
「もしかして、あなたがその男の子なのでしょうか」
「ある意味ではそうと言えるのかもしれません」
 解せない、という顔をしていたのだろう。彼は困り顔で続けてくれた。
「その男の子は逞しく生き抜き、やがて知り合った女性と結ばれ、小さな家庭を築きました。ほどなくして二人の間には子供が生まれたのですが、彼は息子が生まれた日の日記にこう記したのです。やっと託せる、と」