2012年2月28日火曜日

深海魚

『深海魚』

 恐竜図鑑を抱えて眠る時、私は一匹の深海魚になったような心地になる。柔らかい毛布が私を包み、視界は閉ざされ、自分の心音しかせず、自分の呼気のにおいしかしない。唯一、ままに動けるのが舌である。舌である私はぬらりと口蓋を抜け出し、胸に抱いた本の背表紙に沿って泳ぎ下る。深海魚もきっと、こんな真っ暗な海を泳ぐのだろうと思いながら。
 恐竜図鑑は両手で抱える程度の大きさであるが、舌である私にとってそれは校庭くらい広く感じるものだ。どこから読み始めれば良いものか。しかし迷う間もなく紙面に触れた傍から物語は始まっているのだ。私は空気を泳ぐ透明な魚になって、隕石が降り注ぎ火山が火を吹く様を見下ろしている。恐竜どもが群れを成して逃げ惑う。やがて彼らが死に絶え化石になるまで、私は時間の海を、ゆらりゆらりと泳いでいる。

2012年2月20日月曜日

『煙』

 我が指導教官の紹介で、会議の受付事務を手伝うことになった。
 当日は見事な冬晴れの日であった。午後零時半、開場する。路地裏のおんぼろビルの三階でどんな会議をやるのかしらん、と思案する。ppt資料のタイトルは『第二回もくもく大会』とあるから、愛煙家の集いか。首を傾げていると階下から甘い香りの煙が立ち上り、間もなく我が指導教官が現れた。大きな煙管を片手に煙をくゆらせる。火災警報装置、はついてないらしい。「励みたまえよ」と我が指導教官は記帳し会場内へ入っていく。それから続々と煙を吹かす老若男女がやってきた。
 午後一時、会議が始まる。暇になる。しかし観音開きの鉄扉の向こうは喧々諤々の様相のようだった。午後二時、休憩。扉が開くと大量の白煙と共に汗だくの参加者達が一斉に飛び出した。
 そして午後三時を過ぎた頃、拍手が鳴り響く。扉が開く。視界を奪われるほどの煙、煙、煙。思わず咳込み、腰を屈めつつ換気扇を手探りでつける。
「曲者じゃあ!」
 ぎゃあぎゃあ、わあわあ、阿鼻叫喚である。
 しかし次第に声は静まっていき、そろそろと目を開けるとそこには誰もいない。
 頭を落ち着かせる。
 ええと、とりあえず、あれだ。
 バイト代だけは欲しい。

***

 タイトル競作に出さなかったもの。今朝書いたのだから、いわゆる〆切に間に合わずというものです。
 しかしこれは詰め込み過ぎ。

2012年2月13日月曜日

霧に沈む島

『霧に沈む島』

 香港雀はダクトの熱で暖を取る。

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 という旅行紀文。
 今月の頭に、所用で香港まで行ってきたのだった。

【ひかり町ガイドブック】光板製造工場/革命前夜

【学ぶ】
『光板製造工場』
 ひかり町の一角には光板(こうはん)と呼ばれる素材を作る工場があります。光は一兆分の一に圧縮すると固体に似た性質を持つようになるのです。そうして圧縮したものを光板と呼びます。光板は常に光を帯びており、その強さや色は圧縮の際に混ぜるレアメタルの種類と量で調整可能です。光板をふんだんに使った家を建てることが、ひかり町での長者の証でした。


「ものがたり」
『革命前夜』
 K博士の研究はいよいよ総仕上げを迎えていた。研究が完成すれば、光板の量産体制を確立することができる。
 三日三晩、K博士は実験を繰り返す。その様子を陰で見守るのはT女史である。不意に、女史のイヤホンに部下からの報告が入る。女史はマイクに素早く指示を出した。

 博士の研究を快く思わない者は少なくない。光板が量産可能になれば相対的にその価値が損なわれるためだ。
 闇社会は強大である。
 K博士の命を狙う者がいる。研究設備を破壊せんとする者がいる。あるいは、政治的手段で博士の研究資金の凍結を図る者もいる。何百、何千という悪意がK博士を取り囲んでいた。

 ――圧縮機の重低音が止む。
 博士は取っ手を握り、分厚い鉛の蓋をゆっくり開く――それを待ちきれない生まれたての光が、溢れ、溢れ、溢れる。
 博士は光の詰まった圧縮機の中にピンセットを沈めていく。

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 2012年1月16日に行われた超短編イベント「西崎憲さんと語る「可能性の文学」の歩き方」の中の一企画に寄稿。詳細はこちら

 建築材はその都市を雰囲気を決定する最たるものだと思うので攻めてみたのだった。