2012年2月28日火曜日

深海魚

『深海魚』

 恐竜図鑑を抱えて眠る時、私は一匹の深海魚になったような心地になる。柔らかい毛布が私を包み、視界は閉ざされ、自分の心音しかせず、自分の呼気のにおいしかしない。唯一、ままに動けるのが舌である。舌である私はぬらりと口蓋を抜け出し、胸に抱いた本の背表紙に沿って泳ぎ下る。深海魚もきっと、こんな真っ暗な海を泳ぐのだろうと思いながら。
 恐竜図鑑は両手で抱える程度の大きさであるが、舌である私にとってそれは校庭くらい広く感じるものだ。どこから読み始めれば良いものか。しかし迷う間もなく紙面に触れた傍から物語は始まっているのだ。私は空気を泳ぐ透明な魚になって、隕石が降り注ぎ火山が火を吹く様を見下ろしている。恐竜どもが群れを成して逃げ惑う。やがて彼らが死に絶え化石になるまで、私は時間の海を、ゆらりゆらりと泳いでいる。

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