2007年7月30日月曜日

だらだら


 何だか普通の日記が書きたくなったので書いてみる。むしろ近況報告か? まあいいか。

 テスト期間に入って授業もなくなり気味なもので、飛石連休な毎日。昼までぐーたら寝て夕方バイトに出掛け帰って寝る日々。合間合間に本を読んだり勉強してみたり。

 最近読んだというわけでもないけど、小川洋子「ブラフマンの埋葬」が好きで仕様がない。ほんわかした雰囲気とかガジェットの一つ一つが良いのだよ。「余白の愛」も素敵。
 他にも塩野七生のローマ人の物語を読んで、ハンニバルかっこいいとかカエサル素敵だとか、○女子ばりの感想を持ったりもする。
 この頃は書店に行っても本を選ぶのに時間が掛かるようになった気がする。パッと見で興味をそそられるものはあらかた食い尽くしたせいなのだけども。ミステリーはまるで食指が働かないし、歴史物もどうもアンテナに引っ掛からず、ラノベは目が滑るようになったしファンタジーも魔法魔法してるのを見ると敬遠してしまう(ケリー・リンクの「スペシャリストの帽子」みたいな感じのが好きー)。人生のある時期が来れば自ずと興味が湧いてくるんだろうけど、今はまだ。早く来ないかねえ。
 最近はめっきり考え事もしなくなったかなあ。なんちゃって哲学。昔はそれなりにあった野心もすっかり鎮火して、気分は隠居したおじいちゃんです。物事はどうあるべきだとか熱く論じることもなくなり、何事も煩わしくなければ良しとする。何もなければ余命はあと五十年だか六十年だかあるわけで、永いなあ、と。何して時間を潰そうかと考えると書き物がいいなあと思うのでした。こればかりは何故か飽きないんだな。
 ゼミとかで身の周りの若者が熱く語っているのを見ると「若いのう若者」と思う。羨ましい。一つの価値観を妄信していた時期もありました。
 来年はどんなことを考えているのやら。

 夏ですねー。
 今年も江國香織「なつのひかり」を読むんだろうなー。
 線香花火がしたい。


 なんてとりとめのない(笑)。

2007年7月16日月曜日

鳥篭

「鳥篭」

 あの人の屋敷はいつも深い茂みに覆われていて、窓枠を這う蔓の合間からあの人の影が見えるとそれだけで心臓がとくんと跳ね上がるのを感じます。枯れた白樺の窓枠は十字に交差し鉄格子のよう。すらりと差し伸べるあの人の腕は透き通るように細く白く、薄暗い室内にあっても僅かに光を帯びているように見えます。その指先に一羽の白い小鳥が留まり、あの人は暫しの間小鳥と戯れます。人差し指で頭を撫でたり、桜の花びらのような唇を添えたりして、その口元に笑みが絶えることはないのです。やがてあの人は窓を開け、鳥を放ちます。鳥は螺旋を描いてぐんぐん上昇し、あっという間に彼方へと消えてしまうのですが、あの人は窓枠に体重を乗せて空をいつまでも見遣るのです。つんと突き出た顎のラインを私は目でなぞり、美しいと嘆息を零します。子供のようにあどけない首筋から視点を下ろすと、ベージュのブラウスの隙間から滑らかな鎖骨が覗きます。二対の骨は身体の中心線を軸にぴったりと対照の位置に並んで肩へ連なっており、その肩もまた幼く、かつて抱きすくめたときの感触を今でもありありと思い出すのです。二の腕の裏に口付けたときの恥ずかしがりようもまた。互いの手の平を重ね指を絡め桜貝のような爪を食んだときに、ちらり上目で見た横顔の頬に差す桃色、漏れる吐息の温度、収縮する筋肉弾む鼓動、あの人は私のものでした。しかし今はすっかり白くなってしまったあの人の肌を見ると胸が苦しくなるのです。頬に掛かる髪の黒さが肌の白さを際立たせ、淑やかに伏せる睫毛の黒さもまた拍車をかけるのでした。殆ど降るように下りてきた小鳥をあの人は抱きとめると、小鳥のつぶらな瞳に二言三言囁き窓を閉じてしまいます。蔓の錠に縛られた格子の中であの人は窓辺に腰掛け読書を始めます。そしてこちらに一瞥を向け確かに私自身に対して微笑むと読書に没頭してしまうのです。あの人が使う紅葉の栞は私が昨年差し上げたものに相違ありません。




 次は「突然の訪問者」
 ナツイチのはちストラップが可愛くてしょうがない今日この頃。

2007年7月15日日曜日

レンタルビデオ

「レンタルビデオ」

 返却ボックスにビデオを落とすと、「ありがとうございましたー」とあどけない声でお礼を言われた。電子音にしてはくっきりし過ぎた声で、隙間から覗いてみるが暗くてよく見えない。だけど息遣いは聞こえた。僕はその場で新しいビデオを借りて帰った。何年か前のSF映画だった。
 翌日、会社帰りにビデオを返しに行く。映画はそこそこ面白かった。ビデオはかたんと音を立てて返却ボックスの底に当たり、「ありがとうございましたー」昨日と同じ声。覗いてみようかと思ったが、怖がらせるような気がして、代わりにまたビデオを借りる。昨夜借りたビデオの続編にした。
 続編の映画の内容は、前作の主人公の父親が若い頃の話だった。巧妙な伏線に関心したり、前作と絡めてあからさまに取ってつけたようなエピソードにしょんぼりしたが、全体としてはまあまあ面白かったような気がする。もっとも奥さんはきっぱりはっきり「つまらない」と言ったのだが。まあ良いか。かたん、と乾いた音を立てて落ちたビデオに、今日は手紙をつけてみた。「ありがとうございましたー」読めるかどうかわからないが、返事があったらいいなぁと思う。今日は奥さんのリクエストに応えて、純愛映画にした。奥さんの贔屓の俳優が主演を務めるものだった。
 その翌日は接待で帰宅が遅くなったため、ビデオを返したのはその更に翌日だった。かたん、と乾いた音を立ててビデオが返却ボックスに落ちる。「ありがとうございましたー」僕はボックスの返却口に近付きすぎないように気をつけて「手紙、読んでいただけましたか?」と囁いた。するとやや躊躇いがちに「わたしは字が読めないので店長に読んでもらいました。お手紙ありがとうございましたー」「また手紙を送ったらご迷惑ですか?」「いいえー」
 以来、映画の感想を付してビデオを返却するのが習慣になっている。



 次は「鳥篭」

2007年7月6日金曜日

ゆびきりげんまん

「ゆびきりげんまん」

 海辺のラジオを挟んで隣り合う二人の手が、そろり這い出会う。そのとき交わされた右手と左手の暗号が電波を狂わせノイズを以てラジオが苦言を呈す。
 そんなこと、お構いなし。




 また一つ年を取って21歳になりました。
 去年一年何があったか思い返すと何にもなかったようででも実は色々あって、ただし幼少の頃のような果てしなさはとうに失せている。一年の境目がよく見えるのです、決して視力が良いわけでなく。加速する年月がおそろしい。
 はてさて今年はどうなることやら。精緻な予想を遥かに凌駕する、或いは鮮やかに盲点を突く展開が常なので、とりあえず退屈はしないかと。
 何はともあれ心と身体が健やかに過ごせたらいいなと思います。

2007年7月2日月曜日

遺書と嘘

「遺書と嘘」

 生まれたばかりの遺書は、いつか遺される人々を良い方向へ導けることを祈ってながい夢を見る。

 乾いた秋空の下、人々は袖を濡らしている。個人の奥方は気丈に振る舞い、三人の息子たちは互いを牽制し合っていた。
 風。
 誰かが捧げた菊の花が、ほわん、と風に乗る。気付く者は誰もいない。花は気流に乗り、風になる夢を見る、遺書の夢の中で。
 いつしかそこはとある中流家庭の窓辺。菊の花は見る。部屋の隅で、金色の老犬が古い毛布に包まり、長い息を繰り返していた。瞼はすっかり閉じられ、もはや開くこともない。老犬は菊の花の気配を感じ、この家庭の女の子に友達が出来たならば、と願望を打ち明けた。菊の花は微かに花びらを震わせる。私にはどうもできないわ。
 そして老犬は一際長い息を吐くと、そのまま動かなくなってしまった。間もなく現れた女の子が泣き崩れる。

 遺書が目覚める時は自身の封が切られる時である。突如差し込む光に目を瞬かせる。遺書は個人から言い付かった言葉を思い返し整理するが、老犬の嘆願が頭を離れない。間に合わない!
 遺族は目を丸くした。
 一体、個人と件の女の子の間にどのような関係があったのだろうか。二重の夢の彼方など人間が知る由もない。




 次は「ゆびきりげんまん」

 高校の頃、仲が良かった人たちが今は~~している、というのを聞くと妙に感慨深くなる。色々わけがあって辞めたものを再び始めてたり、新しいことやってたり。(逮捕された、とかだったらどうなるんだろうね。いや、なくて結構ですが。)