2008年10月29日水曜日

兵隊が村にやってきた話

「兵隊が村にやってきた話」

 ある日、兵隊が村を焼き払いにやってきたの。金粉を散りばめた立派な書状を持ってやってきた。広場に十字架を立ててね、兵隊たちはあたしをはりつけにしたわ。あたしを処刑してから村を焼き払うんですって。なんであたしがはりつけにされるのかわからなかったし、処刑される理由も知らなかったけれど、あたしをはりつけにした兵隊が、道を歩いてて鳥のフンを引っ掛けられるのと同じ程度の不幸さ、と囁いて、ああそういうものなのかって納得したわ。要するに、誰でも良かったのね。
 広場で晒者にされたあたしに、兵隊長が言った。今この場であなたの首をはねるのと、村に火をつけて村中みんなで焙り殺されるのと、どちらが良いですか、ってね。あたしの首をはねたって、結局村を焼き払うのでしょう。そうするよう王様から賜っておりますのでね。そう言って兵隊長は肩をすくめたわ。
 あたしが今すぐ死のうが後で死のうが、結局みんな死んじゃう。でも不思議なことに広場を取り囲むみんなはじっと息を潜めていたの。万に一つの奇跡――例えば黒々とした雷雲が突然立ち込めて敬虔な信者に仇なす下衆どもに裁きの雷を下す類の奇跡――でも待ってるかのよう。待つための時間稼ぎになるならどんな選択でも構わない、そんな顔をしてたのよ、みんなね。赤ん坊が泣き出しても誰もあやしやしない。みんな、あたしを見てる。あたしの言葉でみんなの運命が決まる――そう思ったらなんだか神様になれた心地がしてね、悪い気はしなかったわ。まったく、馬鹿みたいな話よね。
「ねえ、あたしに訊くより周りに訊いてみたらいいんじゃないかしら」
 そして決をとってみたら、満場一致であたしの斬首刑が決まったわ。なんだかもうどうでもよくなっちゃって、今日はきれいな秋晴れだなあ、なんて思ってるうちに首が飛んだ。ころころ転がって、誰かの足元にぶつかって止まったところまで覚えてる。
 その後どうなったかって? さあ? みんな死んだかもしれないし、奇跡が起こったかもしれない。だけど、あたしにはもう関係ないことだもの。





 東京堂書店@神保町にて赤井さんや五十嵐彪太さんなど豆本作家の豆本が販売中。その中で拙作「よそ、の話」も置いていただいております。(装丁等は五十嵐彪太さんにやっていただきました。多謝。)
 どの作品も高品質限定品なのでお早めに。




 という業務連絡っぽいことをやってみる。

2008年10月23日木曜日

たまねぎ

「たまねぎ」

「人生とはたまねぎのようなものだ」
「その心は」
「剥いても剥いても中身がない」
 すぱん、ぱかんと音を立ててたまねぎが弾けていく。俺は籠からたまねぎを取り出し、大きく振り被り、投げる。時速90kmのたまねぎは金属バットで的確に打ち返され、すぱん、ぱかん、と弾け散る。振り抜いた金属バットの先から汁が滴る。
「だから、こんな糞みたいな人生はひとおもいにぶっ壊してやるのがよいのだ」
「悲しいな」
「生っ白い指で辱められ続けるより可愛いもんさ」
 明け方、俺たちはフランス料理店からたまねぎを盗んだ。納品の隙を狙った。何故そんなことを、と聞かれたら俺たちはこう答えるだろう。たまねぎとラベリングされたダンボールが五箱もあったんだ、仕方ない。
 俺たちはたまねぎを投げ、打つ。世界のどこかで大量のキャベツがトラクターで踏み潰されている。ごぼうでビリヤードをする奴だっていた。
 すぱん
 ぱかん
 すぱん
 ぱかん
 すぱん
 キン!
「あ」「あ」
 八十九個目のたまねぎが空を突き抜け飛んでいく。泥のついた薄茶色がたちまちブルーに溶けて消えていく。ぶっ飛んだ奴だったな。ああ。
 俺たちは涙が止まらない。たまねぎが目に沁みる。





 タイトル競作「たまねぎ」 ○:6 △:6 ×:0
 次点王ばんじゃい。永遠の二番手です。

 今回は「正選王いけんじゃね?」と若干自画自賛気味だったのだけども、たなか作を読んで白旗ふりふり。これは仕方ない。

 他にも、砂場さんに塩を投げつけてやったり、「さくらたんにイれちゃうなんてビクビクッ……悔しいッ!」なんてことがあったり。いつも以上に楽しい回でした。ごちそうさま。


 解題についてはねたかんがおそろしく正確にやってくれたので、それを引用。

> くだらないなあと笑いながら、映画のワンシーンのような光景に心打たれました。金属バットでたまねぎを打つというまったく無意味な行動。無残に割れていくたまねぎの中でひとつだけ割れずに空まで飛んでいく意外性。最後のお約束のような終わらせ方といい、青春って素晴らしいね。

 ナンセンスな似非ハードボイルドが今回の裏テーマだったので、それが伝わったのはよかったかなあという次第。そのテーマが良いことかどうかはさておき。





 今回は選評や類似性について色々な議論があったわけだけども、一点気になることが。
 今回の件を通じて、選評や投稿の敷居が高くならなければいいなあと思う。
 既存の参加者はあんなふうにそれぞれ自分なりの意見を持っているわけだけども、別にみんながみんな高尚な思想を持たなければならないというわけでもない。僕なんぞそんなもの皆無だし。
 みんなもっと気楽に遊べばいいのにねー。

2008年10月17日金曜日

ポーチにマドレーヌ

「ポーチにマドレーヌ」

 冬の終わりが近付くと、その街の人々はそわそわし始め誰ともなく空にてのひらを突き出しだす。アパートのベランダから、道行く車の窓から、路地の隙間から。人々は春を待っている。かじかんだ手に息を吐き、ただひたすらに春を待っている。
 ごう、と春一番。
 南から吹いた風は川下から街に入り、人々のてのひらに触れると花を咲かせる。色はその人の心に従う。ポン、と咲いたそばから隣のてのひらにポン、と花が咲く。風が吹きぬける速度で花畑が広がる。街は一面七色花畑。

 春風がそよぎ、開いたばかりの花がゆらゆら揺れる。それを待ちわびた鳥や虫が、こぞって黄金の蜜を集めて飛び交う。
 そして時間は流れ夏も近付く頃になると、花の種が芽吹き、子どもが生える。夏は子どもの国、秋は隆盛期、冬には人々は恋をする。そして再び空にてのひらを向ける。

「そうやって母さんも、母さんの母さんも、母さんの母さんの母さんも、みいんな、死んでいった。馬鹿みたい。私は、そんなのまっぴらごめんだわ。
 ねえ、逃げましょう。北へ行くの。春も届かないくらい遠くへ」
 雪道を北へ急ぐ二つの影。ぎゅっと手を握り合う。
 七つの夜を越えた朝にとうとう春風に追いつかれ、後には白の花と藤色の花が狂い咲く。

 夏に生まれた双子は手を取り合い、北へ北へと歩いていく。








 ルーズリーフに書き散らしていると、集めてPCに打ち込むのが手間で仕方ない。「あれはどこいった」とてんやわんやになるよりはマシだけども。



 この頃は“読むこと”が圧倒的に足りなくていけない。
 というわけでせっせと手を動かしませう。
 最近のものはテキトーすぎる。自分でもわかる。もっと文章や構成を練れるだろうと思っても、一方でまあいいか、とか思ってる。
 こんな風になったのは、まだまだ日本語に不自由することはあっても、ある程度書きたいと思ったものが書けるようになってしまったからだと思う。昔ならどうしても出てこなかった言葉や文章が今なら一応書けてしまう。そしてこういう風に↑「書けるようになった」と自認して少なからず満足してしまっていることが一番タチが悪い。まだまだ突っ込みどころだらけなのにな。
 こうなるのは二ヶ月前にわかっていたことだけども、いざ直面してみると何だか色々歯痒い。
 前述の通り、書きたいと思っていたものが書けてしまった結果、道を失って暗中模索中というのが現状。はてさて。
 もっとも、本当ならもうとっくにネタ切れで半永久的に筆を置いたかと思っていたところだけども、なんだかんだで今も書き続けているわけだし、まぁいつか風が吹くことでしょう。御縁があればまた全身全霊かけて臨みたいと思うものが表れるんじゃないかな。
「嫌になったならいつでもやめちまえよ」と喉元に刃物を当てていることを思い出す。

2008年10月5日日曜日

無題

「無題」

 先日、近所の紡績工場で火事がありましたの。すっかり夜も更けたころでしてね、カンカンカンって鐘が鳴って「火事だー」って。私も主人も、そりゃあ飛び起きたもんです。
 前々からあすこの工場に良い噂は聞いてなかったのですけどもね……ええ、オーナーさんが筋金入りの拝金主義だとかで、ここいらでは有名でしたのよ。その晩も工場に女工さんを閉じ込めて操業していらすったらしいんですね。二階の窓から電球の灯りが零れて、ぎったんばったんって音がしてね、ところがどこからか火がついてあっと言う間に火事になったそうです。私と主人が着いたときにはもう炎が天に届かんばかりに燃え盛っておりまして、ええ、火の粉が熱に煽られて空じゅうにばららばららってなっていました。みんな、中に女工さんがいるのはわかっちゃいたんですけど、火があまりにも強いのとオーナーさんが入口をがっちり封鎖していたせいで、助けに行かれませんでした。火消しさんもまだ来ませんでしたし。
 そのうち工場から梁が焼け崩れる音がしましてねえ、ええ、それを合図に一人の女工さんが二階の窓から飛び降りたんです。全身火だるまの火の玉みたいでね、地面に落ちてそれっきりでした。身体を打って動けずにいるうちに残り火に喰われたような、そんな感じでした。それからどんどん窓から女工さんが落ちてくるんです。地面に落ちて、それでみんな動かなくなるんです。女工さんたちは次から次へと落ちていって、どんどん積もっていきました。こういうのは不謹慎かもしれませんけどね、私、銀座の三越で見ましたマネキンを思い出しましたの。けど、手足がぴくぴくと動いているのが見えるおかげで、かろうじてあれは人なのだ思い出せるのです。
 結局鎮火したのは夜明け頃でしたかねぇ。オーナーさんが火消しの方たちに何か言っておりまして、彼らは台車に女工さんを乗せていきますの。二人一組でせえのって放るのです。オーナーさんと火消しさんたちが、台車を引いて来た道を戻っていくのが印象的でしたわ。台車にてんこ盛りの女工さんたちが、台車が揺れる度に手足がぷらぷらしてね、立派なマネキンさんになれますようにって主人と二人で手を合わせました。






 日記から発掘。

 工場から飛び降りる女工さんのイメージは、たしか小川洋子「アンネ・フランクの記憶」の中でアンネが読んだ新聞記事に基づくもの(だったと思う)。
 いさや――小川洋子――アンネ――新聞記事(――現場の目撃者)
 これぐらいの隔たりのある情報はもはやフィクションに等しいんじゃないかと思う。