「ポーチにマドレーヌ」
冬の終わりが近付くと、その街の人々はそわそわし始め誰ともなく空にてのひらを突き出しだす。アパートのベランダから、道行く車の窓から、路地の隙間から。人々は春を待っている。かじかんだ手に息を吐き、ただひたすらに春を待っている。
ごう、と春一番。
南から吹いた風は川下から街に入り、人々のてのひらに触れると花を咲かせる。色はその人の心に従う。ポン、と咲いたそばから隣のてのひらにポン、と花が咲く。風が吹きぬける速度で花畑が広がる。街は一面七色花畑。
春風がそよぎ、開いたばかりの花がゆらゆら揺れる。それを待ちわびた鳥や虫が、こぞって黄金の蜜を集めて飛び交う。
そして時間は流れ夏も近付く頃になると、花の種が芽吹き、子どもが生える。夏は子どもの国、秋は隆盛期、冬には人々は恋をする。そして再び空にてのひらを向ける。
「そうやって母さんも、母さんの母さんも、母さんの母さんの母さんも、みいんな、死んでいった。馬鹿みたい。私は、そんなのまっぴらごめんだわ。
ねえ、逃げましょう。北へ行くの。春も届かないくらい遠くへ」
雪道を北へ急ぐ二つの影。ぎゅっと手を握り合う。
七つの夜を越えた朝にとうとう春風に追いつかれ、後には白の花と藤色の花が狂い咲く。
夏に生まれた双子は手を取り合い、北へ北へと歩いていく。
ルーズリーフに書き散らしていると、集めてPCに打ち込むのが手間で仕方ない。「あれはどこいった」とてんやわんやになるよりはマシだけども。
この頃は“読むこと”が圧倒的に足りなくていけない。
というわけでせっせと手を動かしませう。
最近のものはテキトーすぎる。自分でもわかる。もっと文章や構成を練れるだろうと思っても、一方でまあいいか、とか思ってる。
こんな風になったのは、まだまだ日本語に不自由することはあっても、ある程度書きたいと思ったものが書けるようになってしまったからだと思う。昔ならどうしても出てこなかった言葉や文章が今なら一応書けてしまう。そしてこういう風に↑「書けるようになった」と自認して少なからず満足してしまっていることが一番タチが悪い。まだまだ突っ込みどころだらけなのにな。
こうなるのは二ヶ月前にわかっていたことだけども、いざ直面してみると何だか色々歯痒い。
前述の通り、書きたいと思っていたものが書けてしまった結果、道を失って暗中模索中というのが現状。はてさて。
もっとも、本当ならもうとっくにネタ切れで半永久的に筆を置いたかと思っていたところだけども、なんだかんだで今も書き続けているわけだし、まぁいつか風が吹くことでしょう。御縁があればまた全身全霊かけて臨みたいと思うものが表れるんじゃないかな。
「嫌になったならいつでもやめちまえよ」と喉元に刃物を当てていることを思い出す。
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