2008年3月14日金曜日

指輪物語

「指輪物語」

 祖父の遺品を整理していたら祖父にはとても似つかわないような指輪を見つけた。精緻で華奢な台の上に澄んだ色の翡翠を乗せた指輪で、ためしに指にはめてみると少しだけ指輪の方が大きかった。
 祖母に指輪のことを尋ねてみる。知らないという。どうせあの人のことだから、誰か若い子にあげようとしてフラれたんでしょうよ、まったく年甲斐もない。最後まで聞くのは偲びなかったので、そこそこで切り上げてまた整理に戻った。
 日も暮れかかる頃に整理も終わり、小箱に入れた遺品を祖母に渡す。「じゃあまた明日来るね」私は努めて微笑み手を振った。背を向ける。一歩踏み出したところで祖母が「そうだ、これを持っていっておくれ」と小箱の中から先ほどの指輪を取り出し私に握らせ、その拳をしわくちゃの手で包んだ。祖母はジッと私の目を見つめ、思わず私が呻くほどに手に力を入れる。
「これ、どうしたらいい?」
「持っておいておくれ」
「持ってるだけでいいの?」
 祖母は震える顎を縦に下ろした。

 それから三年が経ち、祖母が亡くなった。祖父を亡くして以来、祖母は家を出ることが少なくなり、日を追うごとに体は縮み影は薄くなっていっていた。そして秋風が冬の毛色を帯びる頃に、ふっと消え入るように亡くなった。静かな葬式だった。
 その晩のことだ。
 深夜も牛の刻を回った頃に私は枕元に人が立つ気配に気付く。それが誰かはなんとなくわかる気がして、ほとんど確認の意味で、おばあちゃん、と呼んだ。私は布団に身を横たえたまま瞼も閉じていたが、確かにそう呼びかけ、また声は祖母に届いていた。祖母は遠い昔にそうしてくれたように私の頭に手を乗せると、
「あれはまだ持っているかい」
「うん、棚の一番上に大事にしまってある」
「ありがとうねえ、ちょっと持っていかせてもらうよ」
 祖母はしみじみと言った。私の頭にある祖母の手は、枯れ枝のように乾いた感触とは程遠く、むしろ若い娘のように潤って感じられる。
 祖母は台所から椅子を持ってきて棚をごそごそと探ると、あったあった、と何やら楽しげに呟く。指輪を見つけたようだ。
「じゃあね」
 やっと掴んだ浮気の証拠だ、あたしにゃ一度もこんなものくれなかったのに。
「ちょっと喧嘩してくる」
「行ってらっしゃい」
 おう、と答える祖母の声は勇ましかった。







 お題をまとめて更新。

 トールキンの方を意識してつけたお題だったのだろうけど、でもそんなの関係ねー、もう古いですかそうですか。
 元来普通名詞だったものでも、歴史を経ることでシンボライズされて固有名詞同然の意味合いをもつようになることは珍しくないと思う。指輪物語と聞いてトールキンを思い出し、ねじまき鳥と聞いて村上春樹を思い出し、ゆとりと聞いてプギャーm9を思い出すみたいに。
 もともとは普通名詞なのだからそのつもりで発信しても、受信する側がそれを許さないのだから、人生って難しいわねと思うのでした。



 鉄道博物館で遊ぶ会。行ってきましたよー。
 詳細はひょーた君や女王様に任せるとして、
・個室のテンションの高さはガチ
・女王様のお尻は気持ちよかった
 この二点だけは強調しておきたいです。


鉄格子のはまった窓

「鉄格子のはまった窓」

 鉄格子の不揃いに切り取られた鉄棒が鉄琴に似ていることに気付いたのは、空を自由自在に飛ぶ夢を見た日の朝だった。
 石室の密やかに息づく床に素足で立つ。ほんの少し背を伸ばして窓の鉄格子を爪で弾くと、キン、と鈍い金属音がした。隣の鉄棒はさっき弾いたものより少し短く、同じく鳴らしてみると甲高い音がした。B♭だった。
 私は歌を歌える。
 背筋が凍えるような、それは確かで静かな興奮だった。潰れた声帯を私だけの楽器に再生させ、日なが一日私は私の歌を無人島の空一杯に響き渡らせる。



いつものやつ

「いつものやつ」

【いつものやつ】を辞書で引くとたこわさが出てくるので、この辞書は信頼に足る。



「いつものやつ」

 ちゃりんとベルが鳴り入り口を見遣ると、七人の老若男女が光を背負って並んでいる。彼らは口々に「いつものやつ」「いつものやつね」「いつものやつな」「いつものやつ!」「いつものやつじゃ」「いつものやつよ」「いつものやつだワン」と声高らかに注文をつける。その様があまりに整然としていたのでびっくりしたが、注文を受けるマスターも馴れたもので、出来上がったそばからシュッとヒュッと注文を投げ渡す。それに応じるは硬貨や丸めた紙幣で、さらにお釣りと「お客さん、レシートは?」「ああいらないや」「最近どうですか?」「今度嫁と旅行に行くんだ」、そんなやり取りが私の頭上で同時多発的にあと六通り。





 二編ですよ。

パセリ

「パセリ」

 パセリとバジルの区別がつかない私は、パセリとバジルの平原の真ん中で途方に暮れてしまう。日没までにパセリを10kgも摘まねばならないのに、足もとに広がる緑のうちのどれがパセリでどれがバジルなのかさっぱりわからないのだ。私の不安な心地とは裏腹に風が吹くたびに爽快な香りが吹き抜ける。このまま寝転がって、あの大きな白い雲のところまで落ちていけたらいいのに、なんてことを思った矢先にすとんと胸が空く錯覚に陥り、慌てて身を起こした私の視界の隅でパセリとバジルの葉っ端が旋毛を巻いて空に消え行く。




 パセリがフランスっぽいイメージ
 バジルがイタリアっぽいイメージ

 で、かろうじて区別している感じ。実際食材として使ってると全然違うのだけども(セリとシソだし)、イメージの世界ではまるで一緒。

2008年3月6日木曜日

誰よりも速く

「誰よりも速く」

 誰よりも速くなりたくてチーターに生まれ変わった亀がいた。
 彼はある日秘境で老チーターに出会う。彼女は痩せた肢体を木陰に投げ出していて、彼に気付くと澱んだ眼でじろりと見据えた。そして彼の逞しいふくらはぎや締まった胴を見るや、速いってそんないいもんじゃなかったねえ今度生まれるなら亀がいいねえ、と嘆息をこぼしてそのまま目を醒まさなかった。間もなく陽が落ち、辺りは暗くなる。
 骸を前に彼は黙祷の意を込めて、亀だった頃を思い起こして亀になってみる。頭を低くして背骨を山なりにしてみる。三呼吸に一歩の拍子で、ひょこり、ひょこり、と歩く。彼はそうして彼女の周りをぐるぐると回る。
 それを発見した人間たちがまずコンガを鳴らした。
 集まったチンパンジーが合いの手を入れる。
 他のチーターは彼の後に続く。
 ヘビは互いの尾を咥えて大きな輪を作る。
 それからシマウマやモグラや、風の噂を聞きつけたコンドルまでもがぞろぞろと集まってくる。今夜だけはみんな亀になって、三呼吸に一歩のリズムで踊る。
 夜明けを迎える頃群集は、亀もなかなかいい、という結論に達し、互いを労い合って解散した。以来彼は相変わらず誰よりも速いがあの夜のことは忘れない。



 心臓の競作に出そうかと思ったけど今一つピンとこなくて見送ったもの。

 あるかなー、と思ってたけどやっぱりあったねえ、一文字モノ。
 速と早の違いは、速がいわゆるスピード(km/h)に対して早が時間(h)なのだけども、距離(km)に言及するかどうかが速と早の決定的な違いなのかなあとぼんやり思う。あと、誰よりも速く、の“よりも”は他の誰かと比較して“速く”なわけだから、“誰か”の範疇を無限にすれば“誰よりも速い≒光”になるのだろうけど範疇を限定してしまえば“誰よりも速い=その中で一番”になって、速度の絶対値自体は不問になるわけで。そういう意味で「21よりも速く」はうめえな、とか思ってたら女王様でした。文体でわかるのだけどもな。