2005年11月13日日曜日

東京歯みがきプロジェクトの話

 12日の土曜日に行ってきたわけだけど、ぼちぼちゆっくり語ろうかな、なんちて。

 出かける前に表参道の駅までのルートを確認したにも関わらず、駅から出て迷子になる。予定通りだったら15分前には着いていたハズなのに。なのに。なんで?
 途中、水池さんに電話してみたり何したり、動転しながら表参道を彷徨うこと約45分。お花を片手に45分彷徨っていました。途中、外国人の方に"Execuse me,I'm looking for this place"と紙袋に印刷された場所の名前を指し示されながら訊かれるが、マジで知らなかったので"I'm sorry..I Don't know this place"と答える。ごめんなさい、本当に知らないんです。僕も迷子ingでしたからでも目的地の名前がわかってるだけまだマシだよね。
 しかしそれにしても、東京で迷子になるのは初めてじゃなかったりする。むしろ、迷子にならないことの方が珍しい。初めて行った渋谷ではまるまる1時間迷子になり、東京駅内でも30分彷徨い、四月の千文字500文字オフでも実は20分くらい迷い、大学のOB組織主催のパーティーでも45分程迷子になる。懐かしいなあ、ぜんぜん成長してないなあ。えへ(滅)。
 そんなこんなで着いた頃にはもうとっくに映画が始まっていて(当たり前)、後ろの方の席でこっそり鑑賞する。感想云々はまた後ほど。
 休憩時間にマンジュさんに宣言通り誕生日プレゼントを渡すと、マンジュさんとひょーたんさんがとても驚かれる。そんな驚かなくたって……ねぇ? とか思ったけれど、逆のパターンだったら、僕は間違いなく歓喜のあまり泣くので、まあ、そうか。ひょーたんさん曰く「男が女に花を渡す図なんて初めて見たよ(疲)」とのこと。(疲)ってなんですか、(疲)って、ねぇ。ちなみに花束を渡すのは峯岸さんの案でしたが、それをソッコーで採用したのは僕です。「本当に買ってきたんだ……」という峯岸さんの言葉が実に印象的でした。何はともあれ、受け取ってもらえて幸いです。ええ。本当によかったー。
 その後、写真作品二つとか質疑応答などをして、イベントは終了。峯岸さんに挨拶していこうかと思ったけど、忙しそうだったのでそのまま外に出る。が、その外が寒い。ここ最近一気に寒くなったなーと思う。いや、寒いのは好きだけどね、冷え性だけど。
 とりあえず入ってみたお好み焼き屋で夕食を取りながら、ひょーたんさんが孤軍奮闘なさる。このままじゃあイカンよなぁ、とリアル反省。トーキングのスキルを上げようと思ったり。これからは自主性のある犬を目指します。でも自主性のある犬ってよくよく考え……なくても意味がわからんですな。
 店を出るとき、財布の中にはユキチしかいなかったので、ユキチを出そうとしたらお店の人がごにょごにょと。要約すると、お釣りがないからユキチはやめてほしいなー、とのこと。結局ひょーたんさんに立て替えてもらって、外に出て、駅に行く。と、ここで峯岸さんから電話がかかってくる。なんというタイミング。絶妙すぎです。峯岸さんが到着すると切符を買ってユキチを崩し、ひょーたんさんに立て替えてもらった分のお金を返し、ひょーたんさんが帰られる。お疲れ様でした。
 で、三人でベルギービールを呑みに行く。峯岸さんがたまに行かれるお店だということで、ええ、薄暗い雰囲気が良いと思います。さくらんぼのベルギービールとシメイを呑む。美味しかったー。ビールを美味いと思ったのは初めて。
 呑みながら、来年という言葉についての話になる。峯岸さんが「来年、~~」と話をしていて、峯岸さんは来年=2006年のつもりだったのに僕が来年=2007年と解釈したという話。どうにも来年というと、今の日付+365日+αで考えてしまうもので。実際、どこかの外国の国では、水曜が木曜頃までは来週の日曜というと、カレンダーでいうところのすぐ下の段の日曜日で、それより後だと二つ下の段の日曜日に解釈されるとか。そんな感じの話をする。うろ覚えですが。
 二十二時半を過ぎたところでそろそろ終電がヤバくなってきたので、店を出ることに。今日は泊まるあてがなかったので。キィー。もっと呑みたいもっと呑みたいもっと呑みたいもtt(ry
 原宿の駅まで歩いている途中で、先日の学園祭での女装コンテストの話がちらほら出てきたので、ぼちぼち話をする。大して面白い話でもないので割愛。
 山手線に乗り、代々木で千葉方面のお二人と別れる。
 谷崎潤一郎と夢野久作、ありがとうございました。がっつり読ませていただきます(笑)<マンジュさん

 こんな感じ。本当はもっと色々あったけど、うろ覚えなのでこれにて。





 今もお元気だということなので、とりあえず一安心。
 さてさて。なんであしがらさんだったのかなー、と観ていてずっと思っていた。監督曰く、あしがらさんが特に気になったからだとのこと。健康状態とか様々な要素を鑑みてのこと。
 もし、あしがらさん以上に悪条件の中で生活している人がいたとしたら、どうだっただろうか。或いは、もしあしがらさんがいなかったとしたら、どうだっただろうか。そのときはやっぱり、○○さんという別の人が監督の目に留まっていたのかもしれないし、もしかしたらビデオだって回らなかったかもしれない。まぁ、考えるだけ無駄な話だけど。実際あしがらさんは存在したわけだし、実際監督の目にも留まった。で、ああいう映画が出来て、あしがらさんは今現在元気でやっていらっしゃる。もし別の人が選択されていたとしたら、なんて、ねぇ? わからんですよ、そんなこと。あしがらさんとそれ以外の人との違いって何だろうね? あしがらさんだったか、あしがらさんじゃなかったかの違いじゃないのかなー、と思う。ワケワカメ。
 でも質疑応答の中で僕が一番安心したのは、監督があしがらさんだけを見ていたわけではないということ。もしあしがらさんだけを追っていたのだとしたら、なんつーエゴイズムとか思っていたハズ。よかったよかった。
 ↑みたいなことをグダグダ考えていたわけです。以上。

0 件のコメント:

コメントを投稿