2007年4月14日土曜日

隣人

「隣人」

 マンションの壁一枚を隔てて共に育ってきた隣人の男の子がいる。私自身を除く家族はその隣人とは面識があり、また私自身もその隣人家族とは面識があるのだが、当の隣人本人とは一度も顔を合わせることなく二十五歳まで生きてきた。
 物心ついた頃に私と同い年の隣人の存在を知り、しばしば家族からその隣人の話を聞いた。そして五歳から八歳にかけて、私は何とかこの隣人の顔を見ようとあれこれ奔走したのだが、運命と言わざるを得ないものに阻まれてとうとう会うことができなかった。小学校が同じだったらしいので、登校時に隣人の玄関の前で待ったこともあった。もちろん会えなかった。
 九歳を過ぎると隣人への関心も薄れ、中学に入る頃には意識することもなくなったが、例えば不意に隣人がバッグを下ろす音が聞こえると、その存在を思い出すのだった。隣人と私の部屋は、まさしく、壁一枚で隔てられているのだ。壁に耳を当てて音に集中してみると、隣人が制服を脱ぐ衣擦れ音が聞こえる。ズボンのチャックを下ろす音、ハンガーに上着を引っ掛ける音。馬鹿馬鹿しくなって試験勉強に戻る。が、集中できなかった。ぼんやり頬杖をついてノートを眺めていると、『コロンブスの卵』という文字が次第に隆起してきて、ついには卵の形に膨れて直立する。ふん、と鼻息をかけてやると卵はコロンコロンと転がり鉛筆立てやスタンド、ついには壁を越えてしまう。続いて親指大のインディアンが腕の下から飛び出し卵を追いかける。私の腕に抑圧されていたのだ。元気よく狩りを始め、その数を五十まで数えたところで夢から醒める。私はベランダに出た。隣人の部屋の窓からは煌々と灯りが零れており、時折隣人の影がゆらゆらと揺れた。不意に外国のロックバンドの曲が一瞬だけ大きく響くと、隣人の影が小さく窄まり、音は小さくなった。私たちのベランダの間から夜風がひゅうひゅうと吹き上がる。なんとなく、遠い、と思った。私はネイティブではない。
 それから私は高校へ進学し、都内の女子大学に入学し、それなりに幸せな恋をしながら事務職を務め、なんとなくプロポーズを受けて気が付いたら結婚式を終えていた。半年前に実家のマンションに帰ったとき、何気なく思い出した隣人のことを尋ねてみると、彼はアメリカでロックバンドを組んで楽しくやっているのだという。ふうん、と相槌を打った私は、その帰りにCDショップに立ち寄り、店員さんに薦められるがままにロックのCDを買っていた。半年経っても何が面白いのか未だにわからない。



 はっくーつ

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