2023年5月25日木曜日

羽化

 『羽化』


 ついに波さえ止んだ漁村は、これより先、滅びる他にない。海は空を逆さに映す鏡である。漁船の軌跡がかろうじてそれが海であることを示していた。

 村で最後の子供が生まれたのは七年前のこと。以来私たちは何かを失い続けてきた。世間との交流、希望、誇り、怒りや悲しみ、季節、それから風。遠くないうちに時間も止まるだろう。

 可哀想なのは子供たちだ。子供たちは浜辺でいつも気だるそうに佇んでいた。並んで海を眺めているのを、私は遠巻きに見ていた。その中に七歳になる兄の息子もいた。子供たちは日が暮れる頃に各々の家に帰っていく。

「今日は何をしていたの?」

 二人きりの夕食時、私は甥に訊ねるが彼は答えず一点を見つめたまま箸を口に運ぶ。それきり会話は途絶える。風呂に入れて寝かし付け変わらない朝が来て、彼は今日も浜辺へ行く。

 ある日、子供たちが浜辺でうつ伏せに倒れているとの報せがあった。大人たちが慌てて浜辺へ行くと、顔を見合わせ嘆息する。彼らは行ってしまったと。しかし私は理解してしまう。彼らは何も失っていなかったのだ。子供たちの背中はいずれも縦に割れていて、中身は空だった。ぬらぬらと濡れているのもいずれ乾くのだろう。

0 件のコメント:

コメントを投稿