2007年5月26日土曜日

信じますか

「信じますか」

 裏道の骨董屋にて。
 なあ、いつも気になってたんだが。なんでしょう? あの子はお宅の娘さんなのかい? いや、あれは拾いものですよ、まあ聞いてくださいって。

 紅い満月の夜、丘の原っぱに空中庭園へ続く月の階段が現れるのだという。嘘だとずっと思っていた。
 ある嵐の晩、轟く雷鳴に目を醒まし震えていると不意に音が止み、風も無く、時間が止まったのかと思い起きてみると雨は上がっていた。水を吸った葉が重く頭を垂れているのが窓から見えて、月は紅く円い。根拠は無かったが、今起きているのは世界中で私だけだ、と確信し、木靴を履いて丘へ向かう。歩調に合わせてカーディガンが揺れる。いくつもの水たまりのそれぞれが何かの物語の入り口であり、夜空の雲を映しながらも時折思い出したように揺らめいてた。冷たく澄んだ空気が体を透過する。娘は不思議と冷静だった。
 だから丘の原っぱから銀色の螺旋階段が空へ空へと伸びているのを見ても驚かない。娘は最も正しい方法で階段を踏み、果ての見えない階段を昇るのだ。地面はたちまち遠くなり、長い時間を経て空中庭園に至る。井戸から頭をひょっこり出した娘を住人たちは「お帰りなさい」と愛情を込めて迎える。なんだか懐かしい。娘は自分を姉と呼ぶ少年に手を引かれて林檎林を歩く。たわわに実る林檎を二人して頬張り他愛もない話で盛り上がり、気が付けば小屋の前に立っていた。悪い魔女はもういないんだったっけ、と娘は呟くが、なぜ自分がそんなことを言うのかわからない。しかし間違ってはいないのだ。以前は姉弟を不幸にした魔女がいて、今はいない。そういうことだ。安らいだ気持ちで扉を開けると「お帰りなさい!」男の子と女の子の幼い双子が満面の笑みで出迎える。私の子供だ、と娘が双子を抱きかかえると奥から愛しい男が現れた。胸は幸せのあまりはちきれそうで、それを噛み締めようと目を閉じ、開けるとお腹に子が宿っているのに気付く。娘たちはミルクと蜂蜜を食し、柔らかい毛布で一緒に眠る。そして娘は一人目を醒まし窓の外を見遣ると、紅い月。あれは何だったろう、何でもいいだろう、娘は再び眠りに就くが胸騒ぎに負けて再び旅立つ。未だ遠い夜明けまでには必ず帰るつもりだった。

 へえ、じゃああの子が件の娘なのかい、信じ難いけども。いいえ、あれは双子の片割れですよ。ほお。あの後、結局母親は帰らないで、家族はばらばら、この辺りをふらふらしているところを私が拾ったんです。これからどうするんだい? さあ、見ての通り全然喋らない上に結局何者かもわからない、でもお恥ずかしい話ですがね、私はあの娘の語る物語が好きなものでね、何というか物語の登場人物が本から抜け出てきたみたいで面白いんですよ。


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