2008年6月27日金曜日

かつて一度は人間だったもの

「かつて一度は人間だったもの」

 帰路へ着く人々の流れに逆らい歩いている。彼らは顔中に疲労を滲ませているのにどこか幸せそうで、私と肩がぶつかっても私の方がよろめくばかりだ。彼らは黙々と家族の待つ家を目指す。それは幼い子が笑顔で出迎えてくれる家だろうか、新妻がかいがいしく世話を焼いてくれる家だろうか、年老いた父母が肩を並べてテレビを眺めている背中が見える家かもしれないし、もしかしたら一人暮らしで扉を開けても暗がりがあるだけの家かもしれない。それなら近親感が湧く、少しだけ。彼らは一様にぼんやりとした眼差しで前を向いていたり、視線を足もとに落としていたり、携帯電話を眺めたりしている。しかし誰も空を見ようとしない。日の長い夏の夜の空には薄らぼんやりと紺色の濃淡が広がっていて、その裾野を街灯や建物の灯りが仄かに黄色く染め上げている。中空にぽつんと金星が瞬く。私も帰ろう、家に帰ろう。と、誰かと肩がぶつかった。よろめく。それでも私は歩かなければならないので、足を摺り前へ前へと進む。また誰かとぶつかる。転ぶ。それでも私は。べちゃり、べちゃり、と顎と腰で地を這い進む。腕などとうに失くした。人の足の隙間から空を睨み上げる。遠い。




 心臓タイトル競作 ○:2、△:4、×:0
 という具合でした。

 評の有無もそうなのだけども、コメントを貰えるのが嬉しい。「(拙作を読んで、)こういう風に思ったのね」ってニヤニヤするのが楽しい。というわけでもう少しかっつり選評したいなあ、と。

 雪雪さんから頂いた評の中に、こんな話がありまして。
「うまい、と思わされるのは、技巧よりも本気だからだろう。アイディアに応じて、あえてこういうシチュを選びました、ということでなく、思わず書いてしまうのだろう。だから強い。しかしこの人はこういうものは、いくらでも書けてしまうんだろうな、というゆるい脱力もある。
たとえば500文字の作品が書かれるとき、たとえ480文字まではありがちであっても、その480文字だけが生むことが出来る空前の20文字が、含まれていてほしいと思う。そういう高望みが引き起こされるだけの、力があった。作品に、というよりは作者に。」

 前に一度、“最後の最後でそれまで構築してきた世界を派手にひっくり返す”ことを目指したことがありまして。それが雪雪さんの言う「空前の20文字」に相当するかはわからないけども、一応載せてみる→ひつじ雲

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