2009年2月4日水曜日

スクリーン・ヒーロー

「スクリーン・ヒーロー」

 路地裏のさびれた映画館。劇場には僕しかいない。中段の中央を陣取り明滅する白黒映画を見ている。
 ――ようこそ。
 祖母は死ぬ間際に僕の手を握り、お前はあの人に本当にそっくりだ、と言った。スクリーンの悪役はたしかに目鼻の筋が僕とよく似ている。我が祖父よ。一万の部下を従えるマフィアのボスよ。
 ――手前の勝ちだ。
 ――……!
 ――手前は知らねェのさ。この世にゃァ正義も悪もねェ。神様も悪魔もねェ。あるのは力だけさ。
 葉巻の煙る部屋。祖父はソファーに深く腰掛けそう言うと、鼻を鳴らして煙を吐いた。主人公の青年は銃口を祖父に向けている。銃口は小刻みに揺れている。
 ――さァ、茶番の幕引きだ。
 そして弾丸が祖父の胸を撃ち抜いた。体が跳ね、祖父はうなだれる。ズームイン。祖父は主人公を睨み上げるとにやりと笑って事切れた。湿っぽいバラードとエンドロール。

「いい映画だったよ」
 半分死にかけの老館長はカウンターで舟を漕いでいる。
「……いい役者だった」
「ありがとう」
 映画館を出ると外は小雨だった。駅に向かって流れる人と傘。その一部に僕も加わる。

 僕を見てマフィアのボスと指差す人はもういないだろう。
 さよならスクリーン・ヒーロー。


 ***

タイトル競作出品。○:2 △:1 お粗末様。
今回一番の収穫はまつじ票を獲得できたこと。やったー。初めてだよ。

そんなわけで今回は12番だったのですよ。ふふふん。
や、でも、あの作品と間違えられたのは光栄です。にへー。<私信


そんなわけで以下解題……という程でもないけれども、反省というか考察というか、そんな感じのものを。


今回一番迷ったのはやっぱり最後の一文。はやかつさんの選評の中で、
��最後の一文が私には興ざめでした。
という箇所があったのだけども、それにはまったくその通りだと思う。うん。後で「やっぱり余計だったなあ」と思うだろうというのはわかっていた上での一文です。
それでも書いた(書いてしまった)のは、どう見ても蛇足で興ざめで白けるであろうこの一文に、どういうわけだか遠回りに回って何か面白い方向に作用するような予感を感じてしまったから。もちろんそう作用させるためにはもっと布石を敷かないといけなかったわけだけども、けどこの一文を投げかけた先にはたぶん何かあるぞと、そんな予感がした次第です。もっとも、この予感が正しいかどうかはわからんのだけれども。
��この一文がなかったら、たぶん今回は見送っていたことでしょう)
 ***
今回、書くにあたって考えたのは「『スクリーン・ヒーロー』とはなんぞや?」ということ。
スクリーン・ヒーローってやっぱりヒーローなんだと思う。誰かの憧れでロマンで夢で理想像なのがヒーローなんだと思う。彼は、例えば他のオトナから見れば一時代を築いた『名優』だったとしても、コドモの目から見た彼(『スクリーン・ヒーロー』)には『名優』という言葉には含まれない、一方的で自分勝手な憧れの対象としての要素が備わっているものだと思う。備わっててほしいなあ。
そんなことをぐるぐる考えながら、かつてのヒーローがヒーローでなくなる境目を、外側から内側から描こうとしてみたのが拙作。うん、難しい。

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