「I'm home」
満月の晩、我々は一斉に舟を湖に出す。櫂で水を掻き、ぐんぐん進むと間もなく湖の中央へ辿り着く。その湖は広大で全方位に渡って水面が空を切り分けていた。
その湖の下には都市が沈んでいるのが見える。尖塔がいくつも連なった台地の砦だ。しかしよくよく見てみれば哨兵が立って巡回しているのが見える。鷲の大旗は雄大にそよぎ、門から豆粒みたいな馬車が出入りする。
我々は長の言葉を待つ。長は立ち上がると周囲をぐるりと見回し口を開いた。
「かつて我々は郷を追いやられ、流浪の世紀を過ごした。しかし今、我々は帰ってきた。年月は我々の体を変えたが心は不変であり続けた。諸君はその胸に手を当てるが良い。諸君の胸に溢れるものは何だ」
感極まった一人が、帰りたい、と叫ぶ。連鎖的に皆が声を上げる。帰りたい、帰りたい、帰りたい、帰りたい、帰りたい!
「帰ろう、我々の郷へ」
そして我々は湖へ身を投げた。水は肺に満ち満ち、頭を朦朧とさせる。それでも帰郷を諦める者はいない。代わりに一人また一人と息絶え身を浮かべていくのだ。長も息絶えた。しかし我々は諦めない。醜悪な翼が水を泳ぐひれに変わり、鋭い爪が水を掻くひだに変わり、柘榴色の肺が水で呼吸するえらに変わるまで。意識が途絶える狭間で我々は我々を阻む水の抵抗がだんだんと薄らいでいくのを感じていた。そして青灰色の景色がその色を失い代わりに草木の緑や城壁の灰色が鮮やかに映えるようになる。ここはもはや水の中ではない。大気である。魚に身を変えた我々はぼとぼとと地表へ落ち、瞬く速度で進化を始める。魚類から両生類へ、爬虫類へ、そして哺乳類へ。急速な進化は我々の体に更なる負担を強いた。その過程でまた多くの仲間が耐え切れずに倒れていった。今や生き残っているのは初めの百分の一にも満たない。我々は瞬く間にヒトへ進化したが、しかし試練はまだまだ続く。ヒトの更なる先へ。脳の肥大化と体の縮小化の時代を経て続くは、それに対する反動とも言うべき肉体の過膨張、肉体が肉体を飲み込む、我々は我々と融合する。
――どれほど時間が経ったことだろう。気付くと我々は痛みを乗り越えていた。我々の周りには郷の者らが集い我々を囲んでいる。我々は彼らを懐かしい面持ちで見下ろし、ようやっと口を開く。
��我々は帰ってきたのだ!)
��**
文芸スタジオ回廊様の1000文字小説企画に投稿。
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