2021年6月26日土曜日

希望

 森を抜けると小高い丘があり、その頂にはぽつんと小さな椅子がある。新緑のなかにあって、それはずいぶん年季の入ったもののようだった。
「あれは玉座なのです。かつてここにあった国の」
 そう語ったのはツアーガイドの青年だ。
「その国の人々は皆勇敢で心優しく、自らが犠牲となることを厭いませんでした。自分の命が子供たちの、未来の糧になると信じて、敵兵の前に立ちはだかり、自らの食料を分け与えていきました。そうして最後の一人を残して、皆残らず死んでいったのです」
 青年は椅子を指さした。
「最後の一人は年端もいかない男の子でした。姉が遺してくれたパンを、あの椅子に座って食べました。それから三日三晩、椅子に座っていました。言い換えれば、四日目に彼は椅子から立ち上がったのでした。そうして国は滅んだのです」
「もしかして、あなたがその男の子なのでしょうか」
「ある意味ではそうと言えるのかもしれません」
 解せない、という顔をしていたのだろう。彼は困り顔で続けてくれた。
「その男の子は逞しく生き抜き、やがて知り合った女性と結ばれ、小さな家庭を築きました。ほどなくして二人の間には子供が生まれたのですが、彼は息子が生まれた日の日記にこう記したのです。やっと託せる、と」

2021年2月11日木曜日

2020年8月11日火曜日

水色の散歩道

 水色に混ぜ合わせた絵の具を指に乗せ、キャンバスの右上から左下に向けて一直線に走らせた。天に昇るほうき星のような一本の線。
 少し時間が経って乾くと、キャンバスの四隅から豆粒大の建築会社の社員が市の土木課職員や一級建築士を伴ってやって来て、粉粒のような図面を開き、打ち合わせを始めた。その後重機がやって来て、水色の線に沿って広葉樹を植え、アスファルトを敷き、家やビルを建て、あっという間に住宅街を作ってしまった。何台かのトラックが往来し、一軒一軒に住人が引っ越してきて、豆粒大の住人達が暮らしを営み始める。子供が生まれると街はさらに賑やかになった。諍いも生まれる。いくつかの悲しい事件があった後、「街のシンボルである散歩道だが、水色というのは景観に合わないのではないか」という意見が提示され、喧々諤々の議論がなされる。しかし結論は出ない。疲れ果てた市民たちは空を見上げ、呼びかけた。
 神様はどうお考えですかー?
 え、急に話を振られても困る……。

2020年7月18日土曜日

引っ越しのお知らせ(2020/7/19)

長らく愛用してきたseesaaブログから引っ越してきました。

煩わしい広告がなく、かつ安定的に長期間残り続けるであろう場所としてここを選んでみましたが、さてどうなることやらと。
エクスポート/インポート機能を使って引っ越したため、一部文字化けがありますがそこはもうご愛敬ということで。
致命的に読めなくなるほどではないので、放置してあります。仕様です。ご容赦ください。

魚と眠る

 くつくつと冷たい水が湧き出る山頂の湖の底で、銀色うろこの魚たちが眠っている。その中で最も若い稚魚は、ずっと昔に岩になった長老が見る夢を見ていた。
 赤く焼けた荒野に屹立する一本の塔。夕日を浴びて赤錆びた塔が天を貫いている。うら若き人間の乙女である長老は塔の頂を目指す。世界を貫く針の尖端となる。そうして世界を貫き、暗黒の果てに見えたのは満月。何もない湖の底だった。静寂と不変を愛した彼女は孤独に微睡んでいた。永遠にも等しい時間が流れる中で彼女は胸に奥底に眠っていた幼き頃の楽しい思い出に出会う。一つ、二つと記憶を思い出す度に、水底を照らす銀色の月明かりから銀色うろこの魚たちは生まれたのだ。
 そうして最後に生まれたのがお前だったのだよ。
 はっと稚魚は目を覚ます。長老はただの岩になっていた。

川を下る

 とある夫婦が口減らしのために、十になる息子を舟に乗せて川に捨てた。それから七日後、舟と息子は川上から下ってきた。息子は口いっぱいに飯を頬張りながら以下のように語った。
 両親の姿が見えなくなって以来、右手に山稜、左手に田畑が広がる景色が続いた。寝ても醒めても景色は変わらない。持たせてもらった水と団子も尽き、空腹に耐えかねて川に飛び込もうとしたが、縁に足を掛けたところで不思議とその気が失せた。涙は枯れ果て日を数えるのも諦めた頃、母が自分を見つけてくれて、今に至った。だからこれは死ぬ間際に見ている夢なのだ、どうか醒めないでくれ、と。
 以来息子は他の兄弟の五倍は働き、おかげで家は多少裕福になった。年月は流れ、夫婦が老いて亡くなり、兄弟たちやその子孫たちも亡くなった後も、息子は一睡もすることなく朝から晩まで働き続けている。

2020年2月14日金曜日

水晶の額縁

 亡くなる間際、祖母は私を呼び寄せて左眼を覗き込むよう言った。
「中に誰かいる」
「私の初恋の人だよ」
 袴姿の女学生が椅子に座って本を読んでいた。
「失いたく、なかったんだ。だから閉じ込めた。彼女の人生を奪ってしまった」
 彼女がこちらに気づき、唇を動かす。
 私は幸せだったわよさっちゃん。
 そう言ってほほ笑む姿に私の方が恋しそうになった。

日記の中から発掘。
書いたのが2019年11月20日とのこと。
元々オンラインストレージのつもりで使ってるブログだけど、永遠じゃないので、そのうちどっかにバックアップ残さなきゃなあ。そんなことを思い始めて早五年。そういうもんだ。