2006年9月15日金曜日

6 動かない右手

 ぼくらの前を右手が横切る。五本の指で器用にアスファルトの上を走っているのだ。あ、右手だわ。と彼女は呟き駆け出すので、ぼくもまた彼女と右手のあとを追う。碁盤の目の街には無数の十字路と交差点があり、右手は迷いなく右へ左へ正面へと走る。彼女もぼくも右へ左へ正面へ。何度目かの交差点を過ぎたときに、あ、人間だわ、犬が駆けてくる。あ、犬だ。あ、自転車だ。あ、ゴミ袋だ。あ、あ、あ。長い列を引き連れて右手は走る。列はどんどん長くなり、碁盤の目の街を不気味な蛇がうねうねと這い回るようになる。ぼくらは夜も昼もまた次の夜も昼も走り続けたが、あるとき何の前触れもなく右手は走るのを止めてしまった。彼女はつんのめりながら止まり、ぼくはその背中にぶつかる。息をつく間もなく後ろから犬、自転車、ゴミ袋。次々と襲い掛かる衝撃の中でぼくが見たのは、そろり、と歩み出す右手の優雅な指の動き。みんなで息を呑み、ぼくらは右手と左手の再会を見守った。ひしと抱き合い動かない右手と左手。その姿に、ぼくらは大いに涙する。結婚しよう、とぼくは彼女の耳に囁いた。



 お題六~
 次は『もう一度会いたい』

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