「春眠」
田舎の春霞はほんのりと桃色に色付いていた。霞を掻き分けあぜ道を行くとやがてポストがうっすら浮かんでくる。
ポストの前まで来て、陰のベンチで手紙を持った娘が居眠りをしているのに気付いた。お嬢さん、と声を掛ける。娘はぼんやりとしたままこちらを見上げ、私を認めるとハッと双眸を見開き、黒目は色を持つ。そして私はその黒目に一瞬の物語を見る。
そこは草木の枯れた鉱山で、たくさんの男たちがつるはしやトロッコを携えて山の入り口から出てきていた。私はやがて一人の男を見つけ、視界が細くなったのだから目を細めたのだろう、一方男もこちらに気付き、手拭いで滝のように流れる汗を拭いながら応えるのだ。
郵便屋さんですね。
あ、……はい。
では、これをよろしくお願いしますね。どうしても直接お渡ししたくって。
娘は目を伏せ唇の端を緩ませると、私の手に手紙を忍ばせた。そして私が来た道を歩いていく。
娘が春霞に隠れた直後に、さあと風が吹く。白濁した世界が澄み渡る。しかしそこに娘の姿はなく、桃の甘い香りが鼻腔を微かにくすぐるばかりである。
タカスギさんのコトリの宮殿に出し損ねたもの。
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