2008年11月24日月曜日

孤島の研究所

「孤島の研究所」

 年中嵐に包まれる島がこの世のどこかにあり、その島にある研究所で一人の男が何か偉大な研究をしているのだという話がまことしやかに風の噂で世界中に運ばれる。実は、この町の岬からは件の島が見える。正確には、島を包む嵐が見える。と言っても岬周辺の気候は穏やかなものだ。青い空に白い雲、そよぐ風はほんのりと潮の香りを含み心地よく首筋を撫ぜて吹き抜ける。振り返れば赤錆びたバス停と青々と繁る草木が見える。日差しを遮るものがないからあらゆる色はより鮮やかになるのである。ただ一点、あの島を除いて。あんなに高く澄んだ空が島に近付くにつれてだんだん黒ずんでいき、やがて夜闇のように深い雷雲へと変わる。雷雲は時折その体内に白い光を宿らせて呼吸する。降り注ぐ雨は遠目にも明らかに水面に霧を立たせている。そのせいで島影は灰色に霞む。岬に寄せる波が穏やかなのが嘘のようである。
 生まれついたときから見ている景色だったから特別奇異だとも思わなかったのだが、この頃は何だか岬に立つ人が増えたような気がする。噂のせいか。彼らはめいめいに感想をこぼしたり、写真を手にしたりする。ある時など、立派な書状を持ったスーツ姿の集団(三、四人は白衣姿だったけれど)がやってきて、何やら小難しいことをわたしに言った。わたしは馬鹿だからそんな小難しいことはわかりません、と言うと団長さんは、明日から調査活動を開始しますよというお知らせです決してあなたに迷惑はかけませんお約束します、とぶっきらぼうに言った。その翌朝、いつものように岬からぼんやりと島を眺めていると、立派なお船が果敢にも島に突っ込んでいくのが見えた。そして帰ってこなかった。
 ある日、貝殻を拾いに浜に下りてみると、岩陰に大きな瓶が流れ着いているのが見える。中には紙切れが数枚入っている。直感的にこれは、あの島から流れてきたものだと悟った。なぜかと言われれば確かなことは言えないのだけども、その瓶の雰囲気が切羽詰っていたように感じられたからだ。瓶は一刻も早く開封されることを願っている。それはこの辺りのものやわたしのようなのんびり屋にはない気配だった。瓶を開けてみて取り出した紙は古びており、インクがところどころ変色していたが読めないというわけではない。手紙には難しい暗号めいた記号がびっしりと記述されていた。わたしにわかったのは、その日付がおよそ七十年ほど昔のものだということだけだった。それしかわからなかったけれど、これは誰かに宛てた恋文なのだという気がした。なぜならそういう雰囲気だったから。
 手紙は私の机の引き出し奥深くに置いてある。島影は今日もぼんやりと霞んでいる。来春、わたしには子どもが生まれる。

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