2009年4月1日水曜日

恐怖教

「恐怖教」

 偶然再会した同級生と喫茶店で話し込むうちに、いつの間にか僕は彼女の自宅に足を踏み入れていたのであった。中学生の頃はパッとしない、教室の隅で読書に耽るような子であったのに、今こうして酒で耳まで赤くそまり僕の肩に頭を預ける彼女ははたして同一人物かと見紛うほどの美人であった。チューブトップを上から覗けば深い暗がりが見える。
「ねえ、何か怖い話をしてよ」
 ソファーに腰掛ける僕の膝に彼女は馬乗りになり、甘い息を耳朶に絡める。
「そうだなあ……」
「とびっきりのがいいわ」
 学生時代、サークルの夏合宿で聞いた話をしてやることにした。その場にいた全員を震え上がらせ、女の子の半数を泣かせたものだ。舞台は病院、夜勤の医師に霊が語りかけるのが大まかな粗筋である。彼女は部屋の照明を落とし、薄闇の中にあってはっきりとわかるほどしっとりと濡れた瞳で僕を見上げる。半開きになった唇は話を急かすように小刻みに揺れている。
 そうして僕はありったけの演出を込めて自慢の一品を語り聞かせたわけであるが、しかしその後の彼女の反応と言えば芳しいものとは言いがたい。つまらなさを隠す素振りも見せず、僕の膝から降りると台所の方へすっと消えていった。暗がりから彼女の声が聞こえる。
「恐怖ってね、人間にとって最も原始的で正直な感情なのよ。痛みが体の危機のシグナルならば、恐怖は心の危機のシグナル。もう駄目心が壊れちゃうって限界まで迫ると、日常に帰ってきたときに人生の良い刺激になるみたいね、みんな。私もそうだったもの。ね、中学生の頃、私がいつもどんな本を読んでいたか覚えてる?」
 首を横に振る。
「古今東西のあらゆる怪談、ホラー、サスペンスはもちろん、本や映画で足りなければ実地に足だって運んだ。昔付き合った男には私を殺させる寸前までしてやった。ぎりぎり首を締め付けられて、ああ私死んじゃうな、って思った。けれどもう駄目、何も怖くない。細胞が反逆したってテレビから女が出てきたってもう何も怖くない。毎日が退屈。例えば今、突然私の腹の内から無数の腕が飛び出して、手にした刃物や鈍器で私をめちゃめちゃにしてくれたら。でも駄目、妄想じゃ怖くなれない」
 どうしたら怖くなれるかなあ。猫と交わってみて仔猫の死体を産んでみるとか。駄目だなあ。あとは――
 嬉々と彼女は語る。
 僕は微かに残った照明を完全に落とし、闇の中を玄関へ、そして彼女の部屋から逃げ出す。


 ***

漠然と思っていたことだったりするけど、疑問がいくらか氷解したのでその記念に(?)。

あちこちでエイプリルフールネタを見かけて「ノ、ノリのいいやつらめっ!」とか思ったのはここだけの話。

 ***

怪談文芸ハンドブック読了。

怪談界隈を俯瞰するこの一冊は存在することに価値がある。内容が濃密なのももちろんなのだけども。おそらくてのひら界隈の人ならまず間違いなく手に取る一冊だろうし、そこから将来登場する作品はその軌跡を振り返ったときにかならず本書の存在があることだろう。少なくとも自分がこれから怪談なるものを書こうと思うなら必ずお世話になるだろうし。そういう意味で、怪談界隈にとってすごく大事な一冊になる気がするんだぜ。

あと、デ・ラ・メアに対する興味が鰻上り。名前自体は前々から聞いたことがあったのだけども書を手に取ったことがなく(無知の弊害ですな)、今日探してみたけど結局見つからずに、くぅ、と唸ってしまった。

いずれにせよ、最近読んだ本の中では個人的にもなかなか重要な一冊になりそう。

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