2008年8月6日水曜日

花の祈り

「花の祈り」

 明日の結婚式で使う花のヴェールを作るために教会裏の花畑に行くと、一人の見知らぬ少女が海に向かってひざまついているのを見つけた。少女は手を組んで一心に何かを祈っている。誰か大事な人の帰りを? 遠い誰かの幸福を? 病床の誰かの回復を?
 人は自分のためには祈らない。祈るのは自分ではない誰かのため。自分の手の届かない誰かではあるけど何とか手を届かせたくて神の手を借りるのだ。しかし神は誰に対しても公平であるから、特定の一人の人間のために御手を煩わせるなんてことはしないとぼくは知っている。あの子はそれを知っているのだろうか。いや、知らないからああも無垢に祈れるのだろう。
 海風が吹いて色彩鮮やかな花弁を空へ攫っていく。教会の十字架を越えて遥か彼方へ。
 少女が立ち上がる。その手にはささやかなブーケが抱えられている。ああ、彼女も結婚式に来るのか、と気付く。少女は立ち上がったもののぼうっとした風に海を眺めていたが、やがておもむろにふっくらとした唇を小さなブーケに寄せると、桃色の頬を緩ませた。歩をこちらにむけたところで僕が見ていることに気付くと俯いてしまう。すれ違いざまに、失礼します、と口早に呟いた。
 誰もいなくなった花畑は心なしか寂しく見える。明日の結婚式は晴れるだろうか。西の空に手早く手を組み、ささやかな祈りを捧げる。捧げずにはいられない。




 同題の音楽を聴いていて。

2008年7月20日日曜日

駆け足で

 ビーケーワン怪談大賞とコトリの宮殿に投稿。後者の〆切が7月末だったことに気付いたのは出す直前だったけども、まあいいかとぽちっとな。前者と言いタイトル競作といい期末のレポートといい〆切がこの時期に集中していたので勘違い。


 いつの間にか心臓のアンテナが更新。ここの名前が載っててビックリしたぜ。峯岸さんGJ。


 あとあと遅ればせながらというか今更感がムンムンだけども。
『超短編の世界』(集英社)と『未来妖怪』(光文社)の二点で拙作が掲載されております。きゃー。
 色々な人と同列(?)で並べていただいてわかったのは自分がいかに下手糞かということで、うん、恥ずかしい限り。たぶんこういう機会はもうないと思うけど、頑張らにゃあなと思った次第。


 久しぶりに普通の日記だねぇ。うん。

2008年6月27日金曜日

ひつじ雲

「ひつじ雲」

 お手洗いのパパを待つうちにアイスが溶けて、べしゃって地面に落ちた。パパは泣きじゃくるあたしに「新しいの買って帰ろう」と言って頭を撫でた。あたしのパパは世界一だ。
 遊園地の帰り道、あたしとパパは手をつないで他愛のない話をする。また行こうねって。そう言うとパパは笑うけど、傍目には悲しそうに見えてて、でもそんなことないって知ってる。前に長く伸びた影や夕暮れの永遠みたいな時間がパパをそんな風に見せるのだ。あたしとパパをつなぐ手が、歩くリズムでぶらぶらと揺れる、そんな気怠さがいい。
 パパの無口さは男らしくて素敵だ。歩きながらあたしが話すのは、例えば友達が面白いって言ってたアトラクションがそうでもなかったことや、パレードが子供っぽくて冷めたこと(でも楽しかった、って言う。本当のことだから)。パパはあたしの話に相槌を打ち微笑んでくれる。夕陽はいつまでも沈まなくて、路地も果てしなく続いてて、でも永遠じゃないからあたしは時間を惜しんで夢中で話をする。
 だからあたしは影が増えたことに気付かなかった。パパを挟んだ反対側に、あたしより大きくてパパより小さい影が一つ。ショックだったのは、その影がパパと手をつないでいたこと。
 パパを見上げると、パパは隣の誰かと話をしていた。パパの向こうにピンク色のフレアスカートの裾がちらつく。パパの薬指の銀の指輪が、夕陽に反射して目ざとくぎらぎら光っていた。ねえパパ! と声を上げて腕を引っ張ってもパパはこちらを振り向かない。それどころかパパは、信じられないくらい明るい声で笑ったり拗ねたような声を出したりと、あたしの嫌いな軟弱な男に成り下がってて、もう腹が煮え繰り返って、パパッ、と怒鳴る。するとパパは悲しそうな顔でこちらを見てあたしの手を振りほどく。そして女と、この愛娘のあたしを置いて歩いていってしまう。走ってもあたしはパパに追いつけない。やがてパパと女は地平線の彼方にすとんと落ちてしまった。同時に日が暮れる。
 取り残されたあたしは涙と鼻水で顔中べとべとになる。さっきパパが買ってくれたアイスはすっかり溶けていた。あたしの後ろには溶けたアイスが点々と続いていた。何がいけなかったのだろう? 例えば、アイスさえ溶けなければパパはいってしまわなかったかもしれない。そんな非論理的な考えがだんだんわたしの中で絶対になって、ああ、私は明日もこの馬鹿げた妄想を再現するのだろうなと絶望する。

かつて一度は人間だったもの

「かつて一度は人間だったもの」

 帰路へ着く人々の流れに逆らい歩いている。彼らは顔中に疲労を滲ませているのにどこか幸せそうで、私と肩がぶつかっても私の方がよろめくばかりだ。彼らは黙々と家族の待つ家を目指す。それは幼い子が笑顔で出迎えてくれる家だろうか、新妻がかいがいしく世話を焼いてくれる家だろうか、年老いた父母が肩を並べてテレビを眺めている背中が見える家かもしれないし、もしかしたら一人暮らしで扉を開けても暗がりがあるだけの家かもしれない。それなら近親感が湧く、少しだけ。彼らは一様にぼんやりとした眼差しで前を向いていたり、視線を足もとに落としていたり、携帯電話を眺めたりしている。しかし誰も空を見ようとしない。日の長い夏の夜の空には薄らぼんやりと紺色の濃淡が広がっていて、その裾野を街灯や建物の灯りが仄かに黄色く染め上げている。中空にぽつんと金星が瞬く。私も帰ろう、家に帰ろう。と、誰かと肩がぶつかった。よろめく。それでも私は歩かなければならないので、足を摺り前へ前へと進む。また誰かとぶつかる。転ぶ。それでも私は。べちゃり、べちゃり、と顎と腰で地を這い進む。腕などとうに失くした。人の足の隙間から空を睨み上げる。遠い。




 心臓タイトル競作 ○:2、△:4、×:0
 という具合でした。

 評の有無もそうなのだけども、コメントを貰えるのが嬉しい。「(拙作を読んで、)こういう風に思ったのね」ってニヤニヤするのが楽しい。というわけでもう少しかっつり選評したいなあ、と。

 雪雪さんから頂いた評の中に、こんな話がありまして。
「うまい、と思わされるのは、技巧よりも本気だからだろう。アイディアに応じて、あえてこういうシチュを選びました、ということでなく、思わず書いてしまうのだろう。だから強い。しかしこの人はこういうものは、いくらでも書けてしまうんだろうな、というゆるい脱力もある。
たとえば500文字の作品が書かれるとき、たとえ480文字まではありがちであっても、その480文字だけが生むことが出来る空前の20文字が、含まれていてほしいと思う。そういう高望みが引き起こされるだけの、力があった。作品に、というよりは作者に。」

 前に一度、“最後の最後でそれまで構築してきた世界を派手にひっくり返す”ことを目指したことがありまして。それが雪雪さんの言う「空前の20文字」に相当するかはわからないけども、一応載せてみる→ひつじ雲

2008年6月6日金曜日

交信

「交信」

 空の高いところから赤い糸が垂れてきて、私の目の前でふらふらと揺れだした。運命の赤い糸かしらん、なんて考えながら引っ張ってみると間もなく糸の先から反応がある。
 く、くいくい、くくくい(お返事ありがとう)
 くいくくい、くくーっい(どういたしまして)
 くくいくくっくい、くーくいくい(今度星を見に行きませんか?)
 さすがにこれは唐突だろう。どうお断り申し上げようか考えていると、
��やっぱり突然過ぎましたよね、びっくりさせてごめんなさい。でも今の時期、スピカから見たアークトゥルスの辺りに流星群が来ててとても綺麗なんです)
 彼の不安が糸を通じてこちらまで伝わってきて何だか可愛く思えてきてしまった。どんな姿かたちをしているのか知らないけれど、糸を片手にはあと溜息をつく背中の淋しさに種族の壁はない。
��素敵ですね、よろしければご一緒させてください)
��本当ですか! 嬉しいなあ)
 それからしばらく、くいくい、くくいくい、と交信を行い三日後に裏山で待ち合わせをする。





 コトリの宮殿第-2回自由題、あともう少しで掲載。
 僕自身はささやかなものが好きなのだけども、読み手側としては思い切りが足りないのだという。この辺りのすり合わせが今後の課題なのかなー、とかぼんやり。単体で見るから味気ないのだろうし、似たようなものを複数並べてみればまた違って見えるんじゃないかと。そんな風に思った。

 あと一点だけ。
 長身痩躯で知的で黒縁眼鏡をかけてて落ち着いたトーンの声をしていらっしゃるんだろうなと勝手に妄想していたのに、実際に声を聞いてみれば結構な乙女ボイスでつい動揺してしまって「野郎」と呼んじゃったわけじゃないのよ、べべべべ別に。

2008年5月16日金曜日

きみはいってしまうけれども

「きみはいってしまうけれども」


 ペンシル型のロケットに乗り込んだきみは、丸窓から私に手を振り「さよなら」の形で唇を動かした。三十からのカウントダウンを経て、きみのロケットは真っ青な空へ飛び立っていく。白煙がもくもくと視野を濁し、やがてすっかり晴れた空に、きみはもういない。さよなら、ときみと同じ唇の動きを繰り返してみて、私は空の高さを思い知る。小高い緑の丘と澄んだ青の空と場違いなコンクリートの発射台と、もうどこにも行けない私。物語が終わってしまった。もう次のページは捲れない。
 そんな夢を見た日の目覚めは、胸のぽっかり空いた穴に朝の静謐さがとろとろと溢れて切なくなる。朝陽はカーテン越しでさえ眩しい。ぎゅっとシーツを掻き抱いていると部屋の外から、チン、とトースターの鳴る音、直後に「あちっ!」と悲鳴、それからどんがらがっしゃんと食器が喜劇を歌う。ダイニングを覗いてみると、エプロン姿のきみが途方に暮れていて、私と目が合うとあいまいな笑みを浮かべている。ばかね、と苦笑して、私ときみの二人で、一緒に割れた食器を片付ける。おかえりなさい。呆けたきみの顔は無垢な犬みたいだね。額にキスをしてあげよう!





 心臓競作にて。きみはいってしまうけれども。△:2、×:1



 誰かが誰かのことを「きみ」と呼ぶときってどんなときだろう、と考えるとやっぱり特別な情愛が欲しいなあと思ったのです。
 あと、きみはいってしまうけれども、の次には何かが続くわけですが、少なくとも僕は「きみはいってしまうけれども、そんなもの知るか、きみがいってしまわないのが一番いい」とか思う性質だったのでこういう仕上がりになった次第。わがままなんです。

2008年4月13日日曜日

銀天街の神様

「銀天街の神様」

 夕方から夜にかけては銀天街が最も人で溢れ返る時間帯だ。人の数の二倍の足が東西銀緯路と南北銀経路を行く計算だ。歩きづらい。
 あ、猫さんだあ。
 本当だねえ。
 こら人間、手を伸ばすな体を抱くなひげを引っ張るな。痛いだろう。
 人間の腕を逃れて路地に篭るとやっと安心して毛繕いができる。行き交う人の足を眺めながら、そういえば今宵は新月かと思い出した矢先に背後より、
「こんばんは」
「よお小僧」
 裸足の小僧がにこにこと立っていた。小僧は穴の空いた布を頭から被り、足の爪は黒く汚れている。しかしこれでも神なのだ。
 小僧は私の隣に膝を抱えて座る。往来を人の足が行く。大きな足に小さな足、愉快な足取りに哀愁の足取り、様々だ。
「ここからは民の生活がよく見える」
「そうだな」
 空を見遣ると銀天街を覆う紗に星が透け始めていた。遠くでドン、ドン、と太鼓を鳴らす音がする。
 儀式が始まる。紗に透けた星星は中央の銀の池に身を宿し、小僧は網で星を掬って人間に配るのだ。その星には交通安全、学業成就の効があるという。
「行ってくるよ」
「ああ」
 小僧が路地の奥に消える。ドン、ドン、と太鼓が鳴る。往来を人の足が行く。一様に左から右へと流れてゆく。






 500文字の心臓タイトル競作「銀天街の神様」○:3

 ひょーた君から「これものすごい好き」を頂きましたよ。わーい。
 今回は自分でもびっくりするくらいタイトルに素直に書けた気がする。



 銀天街が商店街の名前であることは知らなかったのだけども、銀天街という名前がそこはかとなく商店街っぽい感じはしていた。当初のイメージは、半球型ドーム状の商店街。
 この形を出すために、x軸y軸として東西銀緯路と南北銀経路の名前を出し、z軸は「視点」の低さと銀天街を覆う紗の描写で作ってみた(つもり)。
 それを舞台の背景として書いてみたかったのは、「神様って別に特別偉いわけじゃないのよ」ということ。お硬く言うと、神の権威の喪失。神と人間の間のヒエラルキーを失くすためには、人間が神を高みから引き摺り下ろすことの他にたぶんもう一つ方法があって、この二者にもう一人加えてじゃんけんみたいな三つ巴の関係を作れば神の絶対的権威って薄れるんじゃないかと思った。△ですよ△。今回はその第三の視点として「猫」を用いてみた。何故猫と言われれば視点が地表に近いこととなんとなくなのだけども、「人間>猫」「猫>神」という図を自分がなんとなくイメージしやすかったからなのかも。
 ってなことをゆるゆる考えながらまったりのっぺり書きましたことよ。
 選評を見ていると「猫=神」という見方をする意見があって、たしかにそう解釈する余地が見えたのでそこだけは加筆訂正したですよ。