2025年8月19日火曜日

つきにうさぎ

  つきがある。

 草むらから、ぴょん、とうさぎが顔を出した。隣でウサギがうさぎに気付いて振り向く。ウサギはうさぎの姿を見て、自分とは違うところがあるなと思った。うさぎが跳ねたら、もふ、ぽふ、という擬音が似合いそうだが、ウサギが跳ねたら、背景のつきに対して黒い影が風のように通り過ぎるようで、ちょっと鋭すぎるように思う。月を背景にしたら、たぶんちょうどいい。

 つきにうさぎ、月にウサギ?

 兎が異議を申し立てる。兎にこそ月だろう、と。しかしウサギは譲らない。うさぎはきょとんとやり取りを見ている。つきと月は並んでお互いの丸さを褒め合っている。ツキは自分をつきや月の仲間に含めていいのか迷っている。つきと月とツキは、ツキを頂点として夜空に三角形を結んでいる。うさぎはツキとつきと月を見て首を傾げている。うさぎの後ろではウサギと兎がひと塊になって草むらを転げまわり、喧嘩をしている。

 いけいけー、やれやれー、とけんかとケンカがヤジを飛ばしていて、やじと野次は次に自分が飛ぶのを待っている。

2025年8月8日金曜日

青薔薇

  渡り鳥たちは北へ北へと飛んでいき、ついに最果てにある島に辿り着く。
 そこは波も風も届かない場所だった。
 同胞たちの狂ったような鳴き声ばかりが発せられ、しかし鳴いたそばから静寂に上書きされてしまう。
 私も必死に喉を震わせていた。そうしないと自分の存在を確かめられなくて、気が気でなくなってしまうと恐れていたからだ。

 渡り鳥たちは目指していた北極に到達できたが、飛ぶことを止められないので、島の中央を軸として旋回し続けていた。
 空中で同胞と衝突したり力尽きたりした者が堕ちて島の一部となる。
 ここでは時の流れも一様ではない。
 明滅を繰り返す灰色の空の下、絶えず旋回する無数の黒い影は、排水溝で渦巻く水や街灯に群がる虫のように見えた。誰の記憶だったか。

 やがて明けない夜が訪れ、渡り鳥たちは己の姿をも失う。
 凍てついた星空の中に一つ、島の真上にひときわ強く輝く青白い星があった。
 渡り鳥たちはその冷酷な青に魅せられる。あれこそが、あれこそが、自分たちの目指していたものだったのだ。
 残り少ない体力を振り絞り、垂直方向への飛翔を試みる。
 しかし飛べども飛べどもついに重力の鎖を断ち切ることはできなかった。

 同胞も私も、遠退く光を意識が途切れる最後の瞬間まで睨みつけ、魂に転写しようと試みていた。

2023年11月7日火曜日

エーデルワイス

 「エーデルワイス」


 たとえば地底の底。濾過された雨水は純水となって地底の空間に満ちている。光はなく、ただ水の滴る音だけが。暗闇の中、波紋が同心円状に広がる様子をあなたは想像してみる。

 あるいは宇宙の果て。まだ光も生まれていないその場所で犬の亡骸が漂っている。慣性でゆっくりと回転しているそれをあなたは見送った。

 それから廃都。何百年、もしかしたら何千年も昔に滅んだそこは、かつてそこに人の住む都があったということ以上の情報を持ち合わせていない。人工の造形物から人の営みの名残や人の想いの残滓をあなたは見出すことができない。

 あなたが想像したこれらの場所は、この世界のどこかに存在したかもしれないし、これから存在するのかもしれない。しかし、今あなたがそれらのことに思いを馳せたということ、ただそれだけがたしかな事実なのだ。どうかそのことを忘れないでいて。

2023年5月25日木曜日

羽化

 『羽化』


 ついに波さえ止んだ漁村は、これより先、滅びる他にない。海は空を逆さに映す鏡である。漁船の軌跡がかろうじてそれが海であることを示していた。

 村で最後の子供が生まれたのは七年前のこと。以来私たちは何かを失い続けてきた。世間との交流、希望、誇り、怒りや悲しみ、季節、それから風。遠くないうちに時間も止まるだろう。

 可哀想なのは子供たちだ。子供たちは浜辺でいつも気だるそうに佇んでいた。並んで海を眺めているのを、私は遠巻きに見ていた。その中に七歳になる兄の息子もいた。子供たちは日が暮れる頃に各々の家に帰っていく。

「今日は何をしていたの?」

 二人きりの夕食時、私は甥に訊ねるが彼は答えず一点を見つめたまま箸を口に運ぶ。それきり会話は途絶える。風呂に入れて寝かし付け変わらない朝が来て、彼は今日も浜辺へ行く。

 ある日、子供たちが浜辺でうつ伏せに倒れているとの報せがあった。大人たちが慌てて浜辺へ行くと、顔を見合わせ嘆息する。彼らは行ってしまったと。しかし私は理解してしまう。彼らは何も失っていなかったのだ。子供たちの背中はいずれも縦に割れていて、中身は空だった。ぬらぬらと濡れているのもいずれ乾くのだろう。

2022年2月13日日曜日

湖畔の漂着物

  対岸までの距離は数キロメートルしかないにも関わらず、湖岸には様々な漂着物が流れつく。ペットボトルやビニール袋に混じって、くまのぬいぐるみ、ボールペン、家電製品のマニュアル、USBケーブル、切手など。

 対岸側でも同じことが起こっているらしかった。お互い漂着物を持ち寄って持ち主を探そうとしたが、ついに持ち主は見つからず、いつしか交流は絶えて漂着物が湖岸にうず高く積まれるようになった。

 時々、近所の子供が漂着物の中から自分だけの宝物を見つけて持っていく。それを咎める大人はいない。

 月に一度、市に頼んで漂着物は処分してもらう。

2021年8月11日水曜日

今夜零時に

  祖母の遺品の中に十代の頃のものと思しき日記があった。中を見ることも、しかし捨ててしまうこともためらわれて、引出しの奥に仕舞い込んでいた。それきりすっかり忘れていたことを、今、日記を見つけて私は思い出した。躊躇した数十年前の自分はなんと純粋だったことだろうと苦笑して。
 細く流麗な筆跡で綴られたのは少女の何気ない日常であった。些細なことで一喜一憂する様子は十代の小娘らしく、いついかなる時代も変わらないものであることを認識させられる。一方で、出征や国際連盟といった単語を見つけてしまうと、やはり彼女は昔の人なのだとも認めざるを得ない。世相の厳しさは徐々に日記の文面にも滲み出てくる。
 そうして読み進めるなか、ページをめくると一枚の紙が日記から滑り落ちた。日記が破けたのかと一瞬ひやっとしたが、どうやら紙切れが挟まれていただけのようだった。拾い上げて見てみれば、明らかに祖母のものではない荒々しい筆跡で一言「今夜零時に」とだけ書いてあり、私はそれ以上先を読むことを止めた。

2021年6月26日土曜日

希望

 森を抜けると小高い丘があり、その頂にはぽつんと小さな椅子がある。新緑のなかにあって、それはずいぶん年季の入ったもののようだった。
「あれは玉座なのです。かつてここにあった国の」
 そう語ったのはツアーガイドの青年だ。
「その国の人々は皆勇敢で心優しく、自らが犠牲となることを厭いませんでした。自分の命が子供たちの、未来の糧になると信じて、敵兵の前に立ちはだかり、自らの食料を分け与えていきました。そうして最後の一人を残して、皆残らず死んでいったのです」
 青年は椅子を指さした。
「最後の一人は年端もいかない男の子でした。姉が遺してくれたパンを、あの椅子に座って食べました。それから三日三晩、椅子に座っていました。言い換えれば、四日目に彼は椅子から立ち上がったのでした。そうして国は滅んだのです」
「もしかして、あなたがその男の子なのでしょうか」
「ある意味ではそうと言えるのかもしれません」
 解せない、という顔をしていたのだろう。彼は困り顔で続けてくれた。
「その男の子は逞しく生き抜き、やがて知り合った女性と結ばれ、小さな家庭を築きました。ほどなくして二人の間には子供が生まれたのですが、彼は息子が生まれた日の日記にこう記したのです。やっと託せる、と」