2008年12月13日土曜日

鳩と大砲

「鳩と大砲」

 大砲の球みたいな鳩が枝に落ちると雀の粉塵が舞い上がる。



 ***

 風邪です。咳です。

 明日はいよいよ超短編の世界イベント@西荻ブクマですよっと。
 その前に金子みづはさん主催のお食事会@銀座の末席を汚したりナマ仲町さんを拝んだりしてきます。

2008年12月8日月曜日

更新

一点だけ更新。
web拍手追加しました。連絡私信等にどうぞー。

2008年12月7日日曜日

支那の占い師

「支那の占い師」

 もともとそこはマムルークが滅ぼした部族の町だったが、生き残った者らが力を合わせて村を作ったのだという。
 初めは地平線に浮かんだ黒いシミだった。陽炎の立つ荒れ肌の大地に目も眩むような灼熱の太陽。ローブを頭から被り、駱駝の一頭も連れず、体一つでその男はやってきた。男は言った。「私は東の国からやってきた」「支那か」「そうだ。ところで水を一杯いただけんかね」村人は顔を見合わせていたが、村長が前に出、男をもてなした。気を良くした男はその晩、お前たちをあの厄介な火の玉から救ってやろう、と高笑いした。そして翌朝、村人はあっと腰を抜かしたのである。無理もない。数ヶ月ぶりの曇り空かと思いきやそれは地の果てまで覆う天蓋だったのだ。豪奢な刺繍が日に透けて見えた。男は村から離れた場所に同じく一晩のうちに小屋を建てて妖しげな香を焚いていた。
 噂はたちまちカリフの耳に入った。使いを遣し都まで来るよう伝えるが返事は決まって、否。業を煮やして軍隊を派遣するが謎の砂嵐に阻まれて軍隊は辿り着くことも叶わない。ある日、カリフが狩りをしているときに虹色の雁が飛ぶのでこれを射殺してみれば、雁は男の声で「数日のうちに北の町が大地の怒りに触れ滅びるだろう」と叫んだ。三日後、国の北部では地が割れた。その報告を聞きカリフが頭を抱えていると、広間に鳥の鳴き声が響き渡る。何事かと見遣れば虹色の雁。雁は高い天井をぐるぐると旋回しながら声高らかに「半年のうちに海神は南の港町に裁きを下すだろう」と歌った。カリフはこれを射殺した。そして港町は津波に飲まれ後には何も残らなかった。
 その様子を水晶玉で眺めていた男は、うわっはっはっは、と大笑いした。水晶に映ったカリフの顔の情けないことと言ったら! 男は水煙草に火をつけると胸いっぱいに煙を吸い、ふーっと吐き出した。煙は小屋の天井に漂う。「我は支那の占い師である。数年のうちに天は西の都を浄化すべく相応の使いを遣わすことだろう」すると煙がだんだん一箇所に集まり始め、それは虹色の雁となる。雁は一声鳴くと小屋を飛び出し、天蓋を抜けると空高く舞い上がり、西の都のカリフのもとへ行く。雁は都中いっぱいに響き渡る声で占い師の予言を告げる。カリフは宮殿中の兵に命じて雁を射殺させた。
 やがて一年が過ぎる。何も起きない。
 つぎの二年が過ぎる。何も起きない。
 そして三年が過ぎる。何も起きない。
 しかしその間にカリフはすっかり骨抜きになっていた。もはや自分ひとりでは立つこともままならない。他国の不穏な動きの報せを聞けば怯え上がり、病の噂を聞けば部屋に篭って出ようとしない。
 さて一方で男は何をしていたかと言うと、相変わらず小屋に篭ったきりなのであった。それでも香が絶えることはなかったため、いつしか畏れられるようになった。だがある日、怖いもの知らずの子どもが小屋に忍び込んだ。ローブを頭から被った男はちらりと子どもを一瞥したがそれきりどうにもしない。子どもは二つ三つ質問をするが返事がないのでこれに怒り、近くにあった水晶を男に投げつけた。すると水晶は男の体をつき抜け柱に当たって割れた。男の体はたちまち霧散する。それと同時に小屋も天蓋も消えてなくなり、後にはキエエと鳴く虹色の雁が西へ西へと飛んでゆくのが見えるのみであった。




 次回のてんとう虫「異国」用(仮)。
 異国情緒溢れるはずがなんだか違う方向に傾いた気がしなくもないけど、まあいっか。



 以下では先日のふらくん送別会のお話。



 まず初めに。
 何と言うか、本当にご愁傷様でした。大変な時期に重なってしまい非常に精神的に辛い部分もあるかと思いますが、どうぞお元気に。
 一応当方の祖父母は母方父方共に健在なのですが、冷静に考えればというか普通に考えて非常にありがたいことです。たくさん孝行せにゃあなと思います。
 ***
 そんなわけでふらくん送別会@12・5
・ふらくん、ひょーたんと足でじゃれあう。手は禁止!
・海百合さんと初遭遇。「いさやん!」「やあ!」みたいな。
・「カップルで温泉=混浴?」で論争する。1:3
・寄せ書き寄せ書き。
・来年の文フリは出雲からはるばるやって来そう。
・飲み食いするうちに一次会がお開き。時間の都合上、ここで退散。
・のはずが、迷子の迎えに行く。
・電話でやり取り。
・「とりあえずJRの改札!」「(ぐだぐだぐちぐち)」「いいから改札」
・まったく君は駄目な子だなあ。
・無事送り届けた後はちょっとだけ顔を出して、今度こそさよなら。

2008年11月30日日曜日

てんとう虫小メモ

 完全に内輪話ですよっと。

・涎が糸引くよりも唾液が糸引いたほうがエロい。
・いさや×ふらく or ふらく×いさや
・( ゚∀゚)o彡°まーちゃん!まーちゃん!
・トリは天然栽培。これはゆずれない

 まだまだ続く

2008年11月29日土曜日

黒い羊

「黒い羊」

 もこもこひつじ くろひつじ
 ぽーんとさくを とびこえる

 朝、目が醒めると枕元にこんな紙切れがあった。
 私たちの黒い羊を巡る旅が始まる。

 交番で私たち黒い羊を探してるのと言うと、動物は落し物と呼ばないよと言われた。大人はモノがわかってないと私たちは憤慨し合う。
 やはり、大人なんかに、頼っては、いけなかったのだ。
 目配せし合い頷くと、私たちはポーチにレモンキャンディを入れて西へ行く。野良猫や烏に道を尋ね、鯨の背を借りて海を越え、鷲の翼で山を越え、ずっと白い空の遠くへ行く。日が暮れ夕方になると冷たい風が頬を撫で始める。私たちは茜色に染まったひつじ雲の背に飛び乗った。ひつじ雲が鳴く。もこもこに寝転がっているとだんだん空の色が濃くなる。やがて星空の海に変わりおおぐまとこぐまが姿を表した。金銀砂子を散らした川は空のずっとずっと遠くまで流れ行く。
 私たちどこまで行くのかしら。どこでもないところへ行くのよ。なら正義の国だったら良いな。
 くすくす笑い合う。
 もうすぐだね。もうすぐ。もうすぐ! そう、もうすぐ!
 うつ伏せになって前を向いてみると、彼方にきらきら光る虹色の柵が見える。私たちはきゃっきゃと喜び合う。



 タイトル競作 △:2 ×:1
 お粗末さまでした。

 今回の反省点
・ディテールの適当っぷり
・選評のヌルさ
・砂場作見抜けず
・空虹作(ry
・むしろ作者がわからん

 この頃絶不調なのは自覚していたけども、それを差し引いてもひどいひどい。一度原点に帰ったほうがよさげですはい。

 以下、解題兼言い訳。






 発表時に全作にざーっと目を通してみて思ったのが、添田作(17)と拙作はまったく正反対なのだなあ、ということ。添田作は結局元の世界(白い羊たちのところ)に戻ってきたけど、拙作は何の躊躇いもなくあっちの世界(柵の向こう側)に行ってしまった。この違いは各筆者の頭の中身や価値観に起因するものだろう。自分がいかに悪趣味というか未練がないというかろくでなしというかなんというか、やれやれなんだぜ。
 今回のお話は復讐譚。イメージの元は江國香織「なつのひかり」に出てくる意地悪な双子より。持つニュアンスは元とは違うけども、話の大筋は以下の通り。自分が厄介者であると自覚のある二人が自分の世界を構築して“大人”の現実から完全に逃避する。自分以外のすべてに対する復讐。復讐というよりは呪詛に近いかも。自分で自分を生贄にして、“正義の国”から悪である全世界に呪いをかける。そんな話。やっぱりろくでもない。そういう意味で言うと、冒頭の紙切れは破滅のスイッチみたいなもの。これによって外の可能性を知ってしまったわけだから。やっぱり(ry
 いつぞやかのひつじ雲といい、救いのない話が多いのはなぜなんだか。やっ(ry

2008年11月24日月曜日

孤島の研究所

「孤島の研究所」

 年中嵐に包まれる島がこの世のどこかにあり、その島にある研究所で一人の男が何か偉大な研究をしているのだという話がまことしやかに風の噂で世界中に運ばれる。実は、この町の岬からは件の島が見える。正確には、島を包む嵐が見える。と言っても岬周辺の気候は穏やかなものだ。青い空に白い雲、そよぐ風はほんのりと潮の香りを含み心地よく首筋を撫ぜて吹き抜ける。振り返れば赤錆びたバス停と青々と繁る草木が見える。日差しを遮るものがないからあらゆる色はより鮮やかになるのである。ただ一点、あの島を除いて。あんなに高く澄んだ空が島に近付くにつれてだんだん黒ずんでいき、やがて夜闇のように深い雷雲へと変わる。雷雲は時折その体内に白い光を宿らせて呼吸する。降り注ぐ雨は遠目にも明らかに水面に霧を立たせている。そのせいで島影は灰色に霞む。岬に寄せる波が穏やかなのが嘘のようである。
 生まれついたときから見ている景色だったから特別奇異だとも思わなかったのだが、この頃は何だか岬に立つ人が増えたような気がする。噂のせいか。彼らはめいめいに感想をこぼしたり、写真を手にしたりする。ある時など、立派な書状を持ったスーツ姿の集団(三、四人は白衣姿だったけれど)がやってきて、何やら小難しいことをわたしに言った。わたしは馬鹿だからそんな小難しいことはわかりません、と言うと団長さんは、明日から調査活動を開始しますよというお知らせです決してあなたに迷惑はかけませんお約束します、とぶっきらぼうに言った。その翌朝、いつものように岬からぼんやりと島を眺めていると、立派なお船が果敢にも島に突っ込んでいくのが見えた。そして帰ってこなかった。
 ある日、貝殻を拾いに浜に下りてみると、岩陰に大きな瓶が流れ着いているのが見える。中には紙切れが数枚入っている。直感的にこれは、あの島から流れてきたものだと悟った。なぜかと言われれば確かなことは言えないのだけども、その瓶の雰囲気が切羽詰っていたように感じられたからだ。瓶は一刻も早く開封されることを願っている。それはこの辺りのものやわたしのようなのんびり屋にはない気配だった。瓶を開けてみて取り出した紙は古びており、インクがところどころ変色していたが読めないというわけではない。手紙には難しい暗号めいた記号がびっしりと記述されていた。わたしにわかったのは、その日付がおよそ七十年ほど昔のものだということだけだった。それしかわからなかったけれど、これは誰かに宛てた恋文なのだという気がした。なぜならそういう雰囲気だったから。
 手紙は私の机の引き出し奥深くに置いてある。島影は今日もぼんやりと霞んでいる。来春、わたしには子どもが生まれる。

2008年11月16日日曜日

300Hzの交信

「300Hzの交信」

 最果ての島の砂浜に透明な小瓶が流れ着く。少年は身を屈めて拾い上げると水の滴るそれを日に透かした。蓋を外す。と、細く白い糸が口からこぼれて遠い海まで続いていることに気付く。日に煌いたのだ。
 少年は瓶の口を耳元に近づける。透明な小瓶は遠い世界の調べをそっと奏でる。
 ――こちらは最果ての島。聞こえますか。
 糸電話よろしく少年は小瓶に囁きかける。水平線の彼方から寄せる波は少年の踝を濡らし、小さな気泡をいくつも弾けさせるとまた糸の続く先へと引いていく。








 女性の平均的な声の高さは230Hzくらいだそうな。へー。


 

 わざわざ追記で書くほどの内容でもないのだけども、色々メモ代わりに。特に一番目のは他の人の意見も聞いてみたいかもです。はい。
 ***
 怪談の話。大分前に「怪談とは何ぞやか」という話をした覚えがある気がするのだけども、それについて一応の見解がまとまったのでメモ。
 一言で言ってしまえば、怪談とは“境界”をうろちょろする話である。なんて乱暴なまとめ方。
 ふだん自分たち人間がいる場所を人間世界と呼ぶとして、八百万の神さまや妖怪の類が住まう場所を指して異界だとか異郷だとか呼ぶ(正式な名称はよくわからんです、はい)。
 人間世界の物語は、いわゆる普通の物語。神さまの世界の話は、つまり読んで字の如く神話。基本的に前者の役者は全て人間であるし、後者の役者は全て神さま。(ファンタジーとかは色々面倒なので略)
 ところが人間世界と神さまの世界の間にはいわゆる“境界”というものがあり、(少なくとも人間世界の見地からは)その“境界”を跨ぐと神さまの世界つまり異世界へ行ってしまう。異世界には神さまがいる、死者もいる、とにかく自分たち人間とは違うものが住まう場所であると。故に“境界”という窓があって始めて異世界が人間世界の隣にあることが確認できる。
 その“境界”の具体例は、例えば山だったり鳥居だったり水だったりトンネルだったり色々。祭事を取り仕切る神社が山の麓にあるのは、山がすなわち異世界であるから神社が門番のような役割をするからなのだという(麓の農民や村民の心理面を鑑みても、ぶっちゃけ正体のわからない異世界についての専門家が存在することは必要だったんじゃないかと)。この辺りの話は柳田國男や民俗学をあされば腐るほど出てくるんじゃないかな。
 話は戻って、昔から続く怪談というジャンルはどういう特徴を持っているのか考えてみると、よく聞くのはやれ天狗だの幽霊だのろくろ首にぬらりひょん、一つ目小僧といった登場人物のあるものである。けども、その裏にある構造はと言えば。三人称で語るときはその主人公は人間で、またある時は一人称で語るときも当然話者は人間であって、そして語られる対象は上記の妖怪や幽霊などいわゆる異世界の住人である。つまり、人間世界と異世界が重なり合っている領域を舞台に語られている。それはどこか。物理的な“境界”を包括した、いわゆる(概念としての)“境界”である。妖怪や幽霊など即物的な異世界の証明が出現する構造ではなく、人間世界と異世界を挟んだ“境界”上をうろちょろする構造が、怪談の基本的な条件である。と僕は一応定義しておくけども、今後修正は入ること請け合い。
 という条件に従ってみると、例えば、
 夕方五時、からかさおばけがけんけんぱをしようとして困っているのを見かける。
 みたいな一行作品があったとしたとき、これは怪談と呼べるかどうか。決して怖くはない。(むしろ下手糞で見るに堪えなごほごほ。)
 仮に怪談と呼ぶとき、それは「からかさおばけ」という即物的な異世界の証明が出現するから怪談なのではなく、「からかさおばけ」という異世界の住人が「けんけんぱ」という人間世界の遊びをしようとしておりさらにそれを一人称(=作者=読者=人間=人間世界の住人)を主語として「見かける」から怪談になるのではないか。
 そういう構造を前提とするほうが、より説得力のある話を考えられたり迷ったときに示唆になったりするので、何かと都合が良いのです。はい。
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 二番目。Gよろしく地べた這いずり回りながら喘いでる話。
 この頃というか常日頃思うのが、「一年前何やってたっけ」。
 一年前には想像のつかない方向へころころ転がってきたけども、確実に変わったと言えるのは、書きたいと思っていたものが変わった、正確には解消した。一昔前だったら、阿呆なりにも「これだ!!!」と言えるものがあって自分の価値基準に一定のベクトルがあった。だからそのベクトルが強烈に指し示す彼方さえ目指せばよかった。ところが最近三ヶ月くらいで話が変わってくる。ベクトルの解消。何というか、何かと感動が薄れてくるわけだよ。無味乾燥。別に喜怒哀楽がなくなったというわけじゃないけど、それに対して逐一本気になるパッションがなくなってきたというかね。嬉しいにゃ嬉しいけどそれだけに心酔する気にはならないし、腹は立てど飯食って寝ればやり過ごせてしまったりと、何かとさらさら無味乾燥。これがいいんだ! という主張もなんだかスカスカになる。張り合いがない。
 といった感じで地べたを這いずり回っているわけです。いじょ。