2010年11月10日水曜日

I'm home

「I'm home」

 満月の晩、我々は一斉に舟を湖に出す。櫂で水を掻き、ぐんぐん進むと間もなく湖の中央へ辿り着く。その湖は広大で全方位に渡って水面が空を切り分けていた。
 その湖の下には都市が沈んでいるのが見える。尖塔がいくつも連なった台地の砦だ。しかしよくよく見てみれば哨兵が立って巡回しているのが見える。鷲の大旗は雄大にそよぎ、門から豆粒みたいな馬車が出入りする。
 我々は長の言葉を待つ。長は立ち上がると周囲をぐるりと見回し口を開いた。
「かつて我々は郷を追いやられ、流浪の世紀を過ごした。しかし今、我々は帰ってきた。年月は我々の体を変えたが心は不変であり続けた。諸君はその胸に手を当てるが良い。諸君の胸に溢れるものは何だ」
 感極まった一人が、帰りたい、と叫ぶ。連鎖的に皆が声を上げる。帰りたい、帰りたい、帰りたい、帰りたい、帰りたい!
「帰ろう、我々の郷へ」
 そして我々は湖へ身を投げた。水は肺に満ち満ち、頭を朦朧とさせる。それでも帰郷を諦める者はいない。代わりに一人また一人と息絶え身を浮かべていくのだ。長も息絶えた。しかし我々は諦めない。醜悪な翼が水を泳ぐひれに変わり、鋭い爪が水を掻くひだに変わり、柘榴色の肺が水で呼吸するえらに変わるまで。意識が途絶える狭間で我々は我々を阻む水の抵抗がだんだんと薄らいでいくのを感じていた。そして青灰色の景色がその色を失い代わりに草木の緑や城壁の灰色が鮮やかに映えるようになる。ここはもはや水の中ではない。大気である。魚に身を変えた我々はぼとぼとと地表へ落ち、瞬く速度で進化を始める。魚類から両生類へ、爬虫類へ、そして哺乳類へ。急速な進化は我々の体に更なる負担を強いた。その過程でまた多くの仲間が耐え切れずに倒れていった。今や生き残っているのは初めの百分の一にも満たない。我々は瞬く間にヒトへ進化したが、しかし試練はまだまだ続く。ヒトの更なる先へ。脳の肥大化と体の縮小化の時代を経て続くは、それに対する反動とも言うべき肉体の過膨張、肉体が肉体を飲み込む、我々は我々と融合する。
 ――どれほど時間が経ったことだろう。気付くと我々は痛みを乗り越えていた。我々の周りには郷の者らが集い我々を囲んでいる。我々は彼らを懐かしい面持ちで見下ろし、ようやっと口を開く。
��我々は帰ってきたのだ!)

��**

文芸スタジオ回廊様の1000文字小説企画に投稿。

書籍掲載1

「愛玩動物」『超短編の世界』創英社
「たまねぎ」『超短編の世界vol.2』創英社
「帰郷」『未来妖怪――異形コレクション』光文社文庫
「傘の墓場」「東の眠らない国」『てのひら怪談 庚寅』ポプラ文庫
��「秘密の園」:『てのひら怪談 庚寅』(ポプラ文庫)のオンライン書店ビーケーワン様での購入者特典として)

午睡の続き

「午睡の続き」

 ――ずいぶんながく眠っていたらしい。
 目が覚めるともう放課後で、教室に私一人が残されていた。
 うっすらと授業の跡が見える黒板、その上にあるかすかに埃を被ったスピーカー、わずかな隙間から吹き込む風に揺らめくカーテン。整然としているように見えて、実は少しずつずれている机たち。脇にぶら下げられた生徒の荷物は混沌としている。普段はそんなこと思いもしないのに。
 時刻は16時半。運動部の掛け声や、吹奏楽部の無秩序な楽器の音が、耳を澄ましてみれば密やかに聞こえてくる。暮れなずむ光が汚れで黄ばんだカーテンを煌々と染め上げる。誰かが教室の前を通り、去っていく足音が。
 午後の国語の授業はとても退屈で、ノートの端に書いた落書きにも飽きるといよいよ机にうつ伏せ深く息をついた。クラスの生徒のほとんどが同じように机にうつ伏せ、起きているのは一部の真面目な生徒だけだった。チョークが黒板を叩くリズムは緩やかで、間のびした音読の声は低く耳に心地よい。来月はもうテストだっけ? 夢現にカレンダーを思い出す。来年に迫った受験のことや、気になるあの人のことや、仲間内でのくだらないトラブルのことや、全部頭の隅のずっと彼方に追いやって、今は食後の気だるい午睡を貪った。不意に出た欠伸を噛み殺し、にじんだ涙を裾で拭う。いつか終わるのだろうか、この果てしない悪夢は。日の当たるこの席は蒸し暑く、背中や膝の裏に浮かんだ汗はただちに制服に染み私を締め付ける。私の魂はここではないどこかを求めていて、ずっと遠くを望んでいるけど、肥え太った肉体に阻まれほんの少しだって飛べやしない。幼かった頃には遥かな地平に見えた世界は、そこに果てがあるとわかった日から檻だったのだと気付いた。人の定めた道理に始まり人という種の限界まで、あらゆるものが私のできることとできないことを区別していく。その様を現在進行形で目のあたりにしている。幼い頃に憧れた未来を実現できた大人はどれだけいるものか。私たちは抗い方を知らない、叫び方を知らない、そもそも私たちの敵を知らない。間のびした音読の声が、直近のスケジュールが、気だるい午睡が、緩やかに私を私と規定する。ずるずると私は眠りの底に引きずられていく。
 ぐっと伸びをして、机に爪を立てる。しかし今は不思議と体が軽い。私は足取り軽やかに机を駆けると、わずかに開いた窓から箱みたいな教室から逃げ出した。ながい悪夢を見ていた気がする。透明な猫はいなくなった。空の教室を眺めているのはだれ?

��**

昔のフォルダを漁っていたら発見。元々某所に投稿したものだったけど、投稿先のサイトが閉鎖してしまったので、紛失する前にぺたりとな。

2010年8月15日日曜日

ペパーミント症候群

「ペパーミント症候群」

 瓶の中のホムンクルスにペパーミントの種が根付いたので、その子だけ違った特性を備えるようになった。根が彼女の背を割っている。芽吹いたばかりの双葉は青々しく、まるで翼が生えたみたいだった。ホムンクルスは喋らない。意思表示をしない。混沌とした意識の海を漂っている。
 最初の変化は、自身の容姿に対する関心の発現だった。髪をいじる、伸びた爪を噛み切る、ガラスの内壁に移った自身を観察する。これらの現象から上記の仮説を立て、瓶の中にビーズを数粒投入してみた。彼女は培養液の中を泳ぎ下り、拳大のビーズを持ち上げる。翌日にはビーズに髪を通し、頭頂部でまとめていた。
 今度は苺味の飴の破片を投入してみた。しかし味覚はまだ発達していないようで、明りに透かすに留まった。
 次に衣服を作製し投入する。彼女はそれが何なのかわからないようだった。瓶の前に子役モデルの写真を立てる。その日の内に彼女は衣服を着ることを学習した。
 私はこれらの発見事実に興奮を隠せずにいた。しかし、間もなく彼女は恋煩いを発症する。瓶に手のひらを押し当て私を見上げる。
 月夜の晩に彼女は亡くなる。瓶の蓋を開けると、ミントの香りがきつく漂った。

��**

タイトル競作。○:4、△:0、×:0

やろうとした内容に比して練り込みが圧倒的に足りていないので、いつか(……)書き直したい。

個人的な印象として、「ペパーミント」には「ミント」とか「薄荷」といった類似した単語にはない独特のニュアンスがある気がする。少女性というか、メルヘンチックな感じというか、そんなニュアンス。それがどういう文脈に由来するものなのかわからないけれども、そういうニュアンスはどうやら自分ひとりだけのものでもないらしい。
そんなわけで常々「ペパーミント」という語は不思議な単語だなあと思っておったのです。はい。
今回の競作でも、そういうニュアンスの作品が結構多かったので、ああやっぱりと思う反面ますます不思議に思ったりもしたのでした。そらんじは思いっきり釣れたしー(笑)。

というわけで取り急ぎ。

2010年7月3日土曜日

てのひら怪談 庚寅

【てのひら怪談 庚寅 (ポプラ文庫)】
http://www.bk1.jp/product/03273444

……というものが一ヶ月ほど前に出て、先日には増刷が決定し、売れ行きはなかなか好調なようです。
ビーケーワン主催のビーケーワン怪談大賞の第6回と第7回から選りすぐりの作品が収録されております。
拙作「傘の墓場」と「東の眠らない国」もお邪魔させていただいております。

さらにさらに。
オンライン書店ビーケーワンで御購入いただくと、第6回、第7回の大賞・優秀賞受賞者による書き下ろし掌編が購入者特典としてついてきます。
ビーケーワン以外で買ってしまった、という方はもう一度ビーケーワンでお買い求めいただくとよいと思います。

大事なことなのでもう一度。

ビーケーワン以外で買ってしまった、という方はもう一度ビーケーワンでお買い求めいただくとよいと思います。



第8回ビーケーワン怪談大賞も開催中です。
http://blog.bk1.jp/kaidan/


嘘泥棒

「嘘泥棒」

 嘘を嘘で塗り固めた女がいる。
「私の伯父はハンガリーでレストランを経営していて、お客さんにはウィーンフィルのね——」
 壊れたラジオのようだ、と道行く人々は思う。身なりに反してその瞳は澄んでいる。ああ狂っているのだな、と人々は結論づける。人々の一部は女の膝に硬貨を放る。女はスイスの春を叙述している。
 女にとって嘘は幼い頃より見栄であり慰みであり真実でありそして未来である。

 男が手を叩く。女の瞳は急速に濁り、男を睨みつける。皺一つないスーツ、ぴかぴか光る黒革の靴。
「私も仕事柄フロリダに足を運ぶことが多いのです。先日、そこでNASAの研究者と——」
 男は女の嘘に侵食する。女の世界にその影をちらつかせる。女は、あなたはご存知ないかもしれないけれど、と枕詞を置く。しかし男は女の世界の隅々にまで通じている。
 男は決して女の嘘を暴かない。代わりに書き換える。徹底的に。
「そろそろお邪魔しますね」
 今や女は深窓の令嬢ではなく地球を守る秘密結社の女幹部である。月蝕と共に訪れる魔王軍の襲来、未来人との超次元貿易、森羅万象に宿る意思。整合性は欠片もない。
 男はこれからハンガリーに行くのだという。

��**

タイトル競作「嘘泥棒」
○:4、△:2、×:3
逆選王作品

解題については心臓掲示板よりコピペ。

��**

今回は真面目に書きすぎた結果、なんだか堅苦しくなってしまったなあともやもやしていたのですが、いやはや。
拙作に関しては、最後の一行で"嘘を盗む"が成立したことが伝われば及第点かなと思っていました。

『嘘泥棒』という語を素直に解釈すると『嘘を盗む人』になるだろうと考え、じゃあ嘘を盗むって何だ、ということをぐるぐる考えるところから始めました。
そもそも嘘ってなんじゃらほい。嘘って虚を口にすると書くよねー。口にするのは言葉。虚である言葉といえば、たとえば空想とか妄想とか(あるいは小説?)。嘘は、言葉で構築される虚構の世界、ぐらいの捉え方にしようか。
じゃあ、嘘を盗むってなんじゃらほい。盗むってことは盗む側と盗まれる側がいるのだろう。その過程ってどのように成し遂げられますのん。盗む、盗む、盗む……ムムム、元々盗まれる側に所有されていたものが何かしらの非合法的・手酷い方法・相手の同意を得ない方法で以て盗む側の所有になることかしらん。じゃあそれってどういう方法だろう。虚構の世界の持ち主が変わる……たぶん、それは革命やクーデターよりももっとずっとしたたかな方法でなければならない。ハテサテ。どうしたものか……まず、盗む側が盗まれる側の世界と同期する。次に、その世界から盗まれる側を追放する。そして、世界の中心に盗む側が居座る。おそらくそんなプロセスなんだろう。
……というようなことを考えながら書いたのでした。解題の代わりとして。

��**

という具合。

��私信
��15>か<21>のどちらかだろうと踏んでいたのだけども、そうか、そっちだったか。
嘘八百でも八百万でも八百屋でも、なんで“たくさん”の意が「八百」なんだろう。あ、八百がゲシュタルト崩壊してきた(笑)。


2010年5月31日月曜日

その日、目が覚めてからメロンパンを食べるまでの出来事

「その日、目が覚めてからメロンパンを食べるまでの出来事」

 ベッドからメロンパンのあるテーブルまで、直線距離でおよそ二メートル。一瞬のタイミングで全てが決まる。体を反転させ、その勢いをバネにして布団を蹴り、一歩で踏み込みメロンパンを掴み取る。それ自体は決して難しいことではない。一、二、三。タイミングさえ外さなければ。
 夢の中で何度もシミュレーションを繰り返し、その瞬間を待つ。その瞬間とは、あるときは目覚まし時計で、あるときは新聞を投げ入れる音で、またあるときは朝帰りの大学生の嗚咽だ。何が合図なのかわからないのはお互い様だけど、僕らはそれが合図だと間違いなくわかるのだ。
 ぶへっくしょい、とお隣さんのくしゃみ。
 お隣さんが鼻を啜る前に駆けだした。一、二、三。二メートルを一歩で埋める手を伸ばす。勝った、と思ったその間際、指先を掠めてメロンパンが逃げていく。カメよろしく四本の足を生やし、のそりと追撃を避けたのだ。(たしかに甲羅っぽいかもしれないけど!)と僕はいつも呆れてしまう。神様のナンセンスなジョークというやつだ。ご丁寧にも彼は毎朝メロンパンに命を吹き込んでくれる。癪なので僕もつい真っ向勝負を仕掛けてしまうのだ。
 こうなってしまったら、後はアキレスとカメよろしく追いかけっこをする他ない。決して埋まり切らない差を埋め続けるのだ。ただの一度でも秒針が動いてくれれば追いつけるのに。

��**

なんて楽しいタイトル案なんだ! と思い嬉々と書いてしまいましたことよ。
生存報告。