「恐怖教」
偶然再会した同級生と喫茶店で話し込むうちに、いつの間にか僕は彼女の自宅に足を踏み入れていたのであった。中学生の頃はパッとしない、教室の隅で読書に耽るような子であったのに、今こうして酒で耳まで赤くそまり僕の肩に頭を預ける彼女ははたして同一人物かと見紛うほどの美人であった。チューブトップを上から覗けば深い暗がりが見える。
「ねえ、何か怖い話をしてよ」
ソファーに腰掛ける僕の膝に彼女は馬乗りになり、甘い息を耳朶に絡める。
「そうだなあ……」
「とびっきりのがいいわ」
学生時代、サークルの夏合宿で聞いた話をしてやることにした。その場にいた全員を震え上がらせ、女の子の半数を泣かせたものだ。舞台は病院、夜勤の医師に霊が語りかけるのが大まかな粗筋である。彼女は部屋の照明を落とし、薄闇の中にあってはっきりとわかるほどしっとりと濡れた瞳で僕を見上げる。半開きになった唇は話を急かすように小刻みに揺れている。
そうして僕はありったけの演出を込めて自慢の一品を語り聞かせたわけであるが、しかしその後の彼女の反応と言えば芳しいものとは言いがたい。つまらなさを隠す素振りも見せず、僕の膝から降りると台所の方へすっと消えていった。暗がりから彼女の声が聞こえる。
「恐怖ってね、人間にとって最も原始的で正直な感情なのよ。痛みが体の危機のシグナルならば、恐怖は心の危機のシグナル。もう駄目心が壊れちゃうって限界まで迫ると、日常に帰ってきたときに人生の良い刺激になるみたいね、みんな。私もそうだったもの。ね、中学生の頃、私がいつもどんな本を読んでいたか覚えてる?」
首を横に振る。
「古今東西のあらゆる怪談、ホラー、サスペンスはもちろん、本や映画で足りなければ実地に足だって運んだ。昔付き合った男には私を殺させる寸前までしてやった。ぎりぎり首を締め付けられて、ああ私死んじゃうな、って思った。けれどもう駄目、何も怖くない。細胞が反逆したってテレビから女が出てきたってもう何も怖くない。毎日が退屈。例えば今、突然私の腹の内から無数の腕が飛び出して、手にした刃物や鈍器で私をめちゃめちゃにしてくれたら。でも駄目、妄想じゃ怖くなれない」
どうしたら怖くなれるかなあ。猫と交わってみて仔猫の死体を産んでみるとか。駄目だなあ。あとは――
嬉々と彼女は語る。
僕は微かに残った照明を完全に落とし、闇の中を玄関へ、そして彼女の部屋から逃げ出す。
***
漠然と思っていたことだったりするけど、疑問がいくらか氷解したのでその記念に(?)。
あちこちでエイプリルフールネタを見かけて「ノ、ノリのいいやつらめっ!」とか思ったのはここだけの話。
***
怪談文芸ハンドブック読了。
怪談界隈を俯瞰するこの一冊は存在することに価値がある。内容が濃密なのももちろんなのだけども。おそらくてのひら界隈の人ならまず間違いなく手に取る一冊だろうし、そこから将来登場する作品はその軌跡を振り返ったときにかならず本書の存在があることだろう。少なくとも自分がこれから怪談なるものを書こうと思うなら必ずお世話になるだろうし。そういう意味で、怪談界隈にとってすごく大事な一冊になる気がするんだぜ。
あと、デ・ラ・メアに対する興味が鰻上り。名前自体は前々から聞いたことがあったのだけども書を手に取ったことがなく(無知の弊害ですな)、今日探してみたけど結局見つからずに、くぅ、と唸ってしまった。
いずれにせよ、最近読んだ本の中では個人的にもなかなか重要な一冊になりそう。
2009年4月1日水曜日
2009年3月20日金曜日
鳥篭の館
「鳥篭の館」
私を買った男はその帰り道に鉛の足輪を買い、屋敷につくなり「はめろ」と言い放った。私は罪深い女なので抗えるはずもなく、ただ大人しく従うしかなかった。男は鎖を引く背中も満足げに渡り廊下を通り尖塔をのぼっていく。吹き抜けの螺旋階段は四方八方に取り付けられた窓から採光されまぶしく輝く。足の裏の感触からすると、これは真鍮なのかしら、それは素敵ね、ルビーやサファイアなんかよりずっとお上品、嬉しくて私はくすくす笑ってしまったのだけど私は罪深い女だからそんなことが許されるはずもなく、男に叱られる前に男に頬を突き出し叩かれる。それから私は俯き粛々と歩き、零さない程度に涙を浮かべ、これから始まる隷属の日々に頬をほころばせまいと必死で堪える。男が立ち止まるとそこはまだ螺旋階段の途中であった。私たちと壁の間の空間に牢が吊るされている。ずっと高い天井から吊るされる牢はゆらゆらと不規則に揺れ、男がそっと触っただけでもか細い鎖が軋むのだ。男は牢の入り口を開け放つと私を手にした鎖ごと放り込み、鎖を真鍮の手すりに巻き、そして入り口に鍵をかけた。男は小さな宝飾された銀の鍵を掲げると、自分も上を向いてあんぐりと口を空け、緩やかに飲み込んでいく。そして喉を大きく震わせ嚥下すると男は私のことを見向きもせずにまた来た道を戻っていった。残された私は鳥篭みたいな牢の中で日長一日膝を抱えてゆらゆら揺れている。上を見遣れば、霞む天井にぽつ、ぽつと鳥篭が見える。その数だけ男は鍵を飲み込んだのだろう。三月に一度、新たな牢が吊るされ間もなく螺旋階段を叩く靴の音が聞こえる。
私を買った男はその帰り道に鉛の足輪を買い、屋敷につくなり「はめろ」と言い放った。私は罪深い女なので抗えるはずもなく、ただ大人しく従うしかなかった。男は鎖を引く背中も満足げに渡り廊下を通り尖塔をのぼっていく。吹き抜けの螺旋階段は四方八方に取り付けられた窓から採光されまぶしく輝く。足の裏の感触からすると、これは真鍮なのかしら、それは素敵ね、ルビーやサファイアなんかよりずっとお上品、嬉しくて私はくすくす笑ってしまったのだけど私は罪深い女だからそんなことが許されるはずもなく、男に叱られる前に男に頬を突き出し叩かれる。それから私は俯き粛々と歩き、零さない程度に涙を浮かべ、これから始まる隷属の日々に頬をほころばせまいと必死で堪える。男が立ち止まるとそこはまだ螺旋階段の途中であった。私たちと壁の間の空間に牢が吊るされている。ずっと高い天井から吊るされる牢はゆらゆらと不規則に揺れ、男がそっと触っただけでもか細い鎖が軋むのだ。男は牢の入り口を開け放つと私を手にした鎖ごと放り込み、鎖を真鍮の手すりに巻き、そして入り口に鍵をかけた。男は小さな宝飾された銀の鍵を掲げると、自分も上を向いてあんぐりと口を空け、緩やかに飲み込んでいく。そして喉を大きく震わせ嚥下すると男は私のことを見向きもせずにまた来た道を戻っていった。残された私は鳥篭みたいな牢の中で日長一日膝を抱えてゆらゆら揺れている。上を見遣れば、霞む天井にぽつ、ぽつと鳥篭が見える。その数だけ男は鍵を飲み込んだのだろう。三月に一度、新たな牢が吊るされ間もなく螺旋階段を叩く靴の音が聞こえる。
砂漠の幻楽団
「砂漠の幻楽団」
早朝の午前五時、一本の電信が届いた。場所は街からおよそ東へ五八〇キロメートル、砂漠のど真ん中だった。
「砂鯨が毒虫にやられて死んでしまったんだとさ」
「可哀想にね」
私は紅珊瑚のかんざしを口に咥えてマニキュアを塗る。他のメンバーも手早く身支度を整えた。
それから私たちは砂舟で半日かけて目的地まで行く。麻の帆を張り砂嵐を受けて舟は進むのだ。
到着したのは夕暮れも近い時刻で、東の空で星がいくつか瞬いていた。電信の主は砂鯨の死骸の傍らで膝を抱えて座っていた。同い年くらいの少年だった。
私たちは作業を開始する。砂鯨を解体するのだ。皮膚にナイフを立て、血は瓶に残さず注ぎ、ばらばらにしたパーツで楽器を作る。砂鯨の髭のハープ、皮と骨で作ったドラム、平歯のカスタネット。月が顔を出す頃にはあらかたの楽器は作り終わり、砂鯨はきれいさっぱり解体された。
そして満月が天頂に昇る頃。メンバーは各々の楽器を構え、私は彼らの中央で胸に手を当て深呼吸をした。観客は彼一人。彼のためだけのアリアを歌うのだ。
すうっと息を吸い込むと、微かに天を覆っていた薄雲が晴れ、ぽつり、またぽつり、と砂漠に光の斑が浮かび上がる。砂の表面には風が刻んだ波のような畝があり、それと相極まって一つのスコアになるのである。間もなく光の斑が地平線の彼方まで浮かび、今宵のスコアが完成する。私たちはそのスコアに従ってアリアを歌う。
夜明け、光の斑が薄れる頃に葬送の儀式が終わる。
全ての荷物を積み込み砂舟に乗り込むと、少年が砂鯨の耳骨が欲しいと言い出した。キャプテンに尋ねると、構わねえさ、と笑った。
少年は街までの道中、ずっと耳骨を耳に押し当てていた。安心しきって眠るように伏せられた瞼から目が離せずにいると、キャプテンに「仕事しろ」と頭を小突かれる。
早朝の午前五時、一本の電信が届いた。場所は街からおよそ東へ五八〇キロメートル、砂漠のど真ん中だった。
「砂鯨が毒虫にやられて死んでしまったんだとさ」
「可哀想にね」
私は紅珊瑚のかんざしを口に咥えてマニキュアを塗る。他のメンバーも手早く身支度を整えた。
それから私たちは砂舟で半日かけて目的地まで行く。麻の帆を張り砂嵐を受けて舟は進むのだ。
到着したのは夕暮れも近い時刻で、東の空で星がいくつか瞬いていた。電信の主は砂鯨の死骸の傍らで膝を抱えて座っていた。同い年くらいの少年だった。
私たちは作業を開始する。砂鯨を解体するのだ。皮膚にナイフを立て、血は瓶に残さず注ぎ、ばらばらにしたパーツで楽器を作る。砂鯨の髭のハープ、皮と骨で作ったドラム、平歯のカスタネット。月が顔を出す頃にはあらかたの楽器は作り終わり、砂鯨はきれいさっぱり解体された。
そして満月が天頂に昇る頃。メンバーは各々の楽器を構え、私は彼らの中央で胸に手を当て深呼吸をした。観客は彼一人。彼のためだけのアリアを歌うのだ。
すうっと息を吸い込むと、微かに天を覆っていた薄雲が晴れ、ぽつり、またぽつり、と砂漠に光の斑が浮かび上がる。砂の表面には風が刻んだ波のような畝があり、それと相極まって一つのスコアになるのである。間もなく光の斑が地平線の彼方まで浮かび、今宵のスコアが完成する。私たちはそのスコアに従ってアリアを歌う。
夜明け、光の斑が薄れる頃に葬送の儀式が終わる。
全ての荷物を積み込み砂舟に乗り込むと、少年が砂鯨の耳骨が欲しいと言い出した。キャプテンに尋ねると、構わねえさ、と笑った。
少年は街までの道中、ずっと耳骨を耳に押し当てていた。安心しきって眠るように伏せられた瞼から目が離せずにいると、キャプテンに「仕事しろ」と頭を小突かれる。
バビロニア
「バビロニア」
オリエントの美少年の操る象に乗って流花の回廊を歩く。
「あれはなあに」
「クチリの花弁です。煮詰めた汁は頭痛に効くそうです」
ふうん、と呟く。別段興味はない。彼のか細い喉から零れる声が聞ければ良いのだから。
オリエントの美少年の操る象に乗って流花の回廊を歩く。
「あれはなあに」
「クチリの花弁です。煮詰めた汁は頭痛に効くそうです」
ふうん、と呟く。別段興味はない。彼のか細い喉から零れる声が聞ければ良いのだから。
a boy
「a boy」
蒸気機関で動くスチームビートルに跨って『回路』を巡り破損箇所を修理して回るのが俺の仕事だ。『回路』というのは街全体に張り巡らせられたスチームパイプで、壊れたところからはシューシューと蒸気が漏れているので破損箇所を見つけること自体は難しくない。しかし百度に近い温度の蒸気を相手にすることは決して楽なことではない。一日の仕事を終える頃には顔や手足はすっかり赤く腫れ上がっている。ひりひりする皮膚を風に晒しながらビルの壁面をスチームビートルでまっすぐ昇り、ビルからビルへ飛び移って帰路につく。その途中、ラジオ塔に登って街並みを見下ろした。赤錆びた街の底にはうっすらと蒸気が滲んでいる。電気カラスが群れを成して飛び行く。
蒸気機関で動くスチームビートルに跨って『回路』を巡り破損箇所を修理して回るのが俺の仕事だ。『回路』というのは街全体に張り巡らせられたスチームパイプで、壊れたところからはシューシューと蒸気が漏れているので破損箇所を見つけること自体は難しくない。しかし百度に近い温度の蒸気を相手にすることは決して楽なことではない。一日の仕事を終える頃には顔や手足はすっかり赤く腫れ上がっている。ひりひりする皮膚を風に晒しながらビルの壁面をスチームビートルでまっすぐ昇り、ビルからビルへ飛び移って帰路につく。その途中、ラジオ塔に登って街並みを見下ろした。赤錆びた街の底にはうっすらと蒸気が滲んでいる。電気カラスが群れを成して飛び行く。
柊の原
「柊の原」
柊の葉がびっしりと植えられた原を歩くの。そこは雪で覆われていて柊の葉は見えないんだけど、裸足で歩くから、ざくざく、ざくざくって足に柊の葉が刺さるの。血が出るの。真白な雪の原に血の跡が続くの。とても痛いの。なんで私はこんな目に会わなきゃいけないのってぼろぼろ泣くの。けど私は歩かなきゃいけないから歩くの。だってそういう風にメイレイされたから。私は歩くの。柊の原を歩くの。真赤な血が真白な雪を染めるの。
もうだめ、倒れちゃう。そう思った頃に地平線の彼方に人影が見えるの。私を優しく抱きしめてくれる素敵な人で、私はその人を目指すの。そこまで行ければ私はもう大丈夫。私は泣きながら笑って、あともう少しもう少しって自分に言い聞かせるの。そうしたら柊の葉が突然芽吹いて、一瞬で巨大な柊の森になるの。私は途方に暮れるの。
柊の葉がびっしりと植えられた原を歩くの。そこは雪で覆われていて柊の葉は見えないんだけど、裸足で歩くから、ざくざく、ざくざくって足に柊の葉が刺さるの。血が出るの。真白な雪の原に血の跡が続くの。とても痛いの。なんで私はこんな目に会わなきゃいけないのってぼろぼろ泣くの。けど私は歩かなきゃいけないから歩くの。だってそういう風にメイレイされたから。私は歩くの。柊の原を歩くの。真赤な血が真白な雪を染めるの。
もうだめ、倒れちゃう。そう思った頃に地平線の彼方に人影が見えるの。私を優しく抱きしめてくれる素敵な人で、私はその人を目指すの。そこまで行ければ私はもう大丈夫。私は泣きながら笑って、あともう少しもう少しって自分に言い聞かせるの。そうしたら柊の葉が突然芽吹いて、一瞬で巨大な柊の森になるの。私は途方に暮れるの。
世紀末、その後
「世紀末、その後」
世紀末が終わった後の世界は静かなものだったね。恐怖の大王なんて現れやしなかった。子供心にがっかりしたもんさ。なあんだ、って。つい最近まで恐怖の大王で盛り上がっていた大人たちは、そんなものがあったことさえ忘れてしまったかのようだった。
世紀末最後の学校からの帰り道、俺とかっちゃんは賭けをしたんだ。恐怖の大王が現れるか現れないか。「恐怖の大王なんて信じてんのかよ、くだらねえなあ」「かっちゃんはじゃあ、なんで現れないなんてわかるんだよ」「だってそりゃ……なあ」「もし現れたらどうする?」「そんなこと考えても意味ねーじゃん、出るわけないんだし」「俺だったら、大王を見に行く。学校の屋上からだったら見えるかな」すごくどきどきして、わくわくしてた。
けれど結果はご存知の通りさ。俺は田舎のじいちゃんちに連れていかれて、大晦日は早々にダウンして、気がついたら西暦二〇〇〇年だった。恐怖の大王なんて現れやしなかった。
それから七年、八年と時間はあっという間に流れて俺は大学生になり、世紀末のことなんてすっかり忘れていたんだ。その日俺は大学の帰り道で商店街を歩いていた。
そして見たのさ。
おっさんだった。中途半端に禿げた頭に無精髭によれよれのスーツ、柱時計の下で唾を吐き散らしながら叫んでた。来る、絶対に来る、恐怖の大王は絶対に来るんだ。お前らはみんな俺のことを馬鹿だって思ってるかもしれないが、俺こそお前らを嘲ってやるさ。なんでお前らなんかに、恐怖の大王が来ないなんてわかるんだ。いいか、今日ここにいるやつらはよぉーく耳の穴をかっぽじって聞けよ、恐怖の大王は来るんだ、絶対に来るんだ、世の中ぜーんぶぶっ壊すんだ。来てくれないと困るんだよぉ! そしておっさんはいきなり俺に歩み寄って肩を掴んだんだ。
なあ、お前だってそう思うだろ、恐怖の大王さえ来れば世の中はもっと楽しくなるんだ、そうだろ?
首を横には振れなかった。代わりに俺はおっさんを突き飛ばして逃げるように走る。背中からおっさんの声が聞こえる。
世紀末が終わった後の世界は静かなものだったね。恐怖の大王なんて現れやしなかった。子供心にがっかりしたもんさ。なあんだ、って。つい最近まで恐怖の大王で盛り上がっていた大人たちは、そんなものがあったことさえ忘れてしまったかのようだった。
世紀末最後の学校からの帰り道、俺とかっちゃんは賭けをしたんだ。恐怖の大王が現れるか現れないか。「恐怖の大王なんて信じてんのかよ、くだらねえなあ」「かっちゃんはじゃあ、なんで現れないなんてわかるんだよ」「だってそりゃ……なあ」「もし現れたらどうする?」「そんなこと考えても意味ねーじゃん、出るわけないんだし」「俺だったら、大王を見に行く。学校の屋上からだったら見えるかな」すごくどきどきして、わくわくしてた。
けれど結果はご存知の通りさ。俺は田舎のじいちゃんちに連れていかれて、大晦日は早々にダウンして、気がついたら西暦二〇〇〇年だった。恐怖の大王なんて現れやしなかった。
それから七年、八年と時間はあっという間に流れて俺は大学生になり、世紀末のことなんてすっかり忘れていたんだ。その日俺は大学の帰り道で商店街を歩いていた。
そして見たのさ。
おっさんだった。中途半端に禿げた頭に無精髭によれよれのスーツ、柱時計の下で唾を吐き散らしながら叫んでた。来る、絶対に来る、恐怖の大王は絶対に来るんだ。お前らはみんな俺のことを馬鹿だって思ってるかもしれないが、俺こそお前らを嘲ってやるさ。なんでお前らなんかに、恐怖の大王が来ないなんてわかるんだ。いいか、今日ここにいるやつらはよぉーく耳の穴をかっぽじって聞けよ、恐怖の大王は来るんだ、絶対に来るんだ、世の中ぜーんぶぶっ壊すんだ。来てくれないと困るんだよぉ! そしておっさんはいきなり俺に歩み寄って肩を掴んだんだ。
なあ、お前だってそう思うだろ、恐怖の大王さえ来れば世の中はもっと楽しくなるんだ、そうだろ?
首を横には振れなかった。代わりに俺はおっさんを突き飛ばして逃げるように走る。背中からおっさんの声が聞こえる。
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