2007年5月6日日曜日

ゆらゆら

「ゆらゆら」

 誰かが、ここは空気の堆積した海だ、と言ったときから山の頂でさえも海底なのだった。言葉が泡となってぷかぷかと浮上する幻視はなんだか心地いい。
 鉄塔を昇る。
 四肢のこんがらがった男女の囁き合う愛の言葉が気泡となって海面へと上っていく。ソーダ水のようにしゅわしゅわと。その様子が面白くて高笑いする。あっはっは、ととびっきり大きな泡がぼくの口から生まれ、声が途切れるまで膨れ続けた。この空の彼方には溢れた言葉が集る場所があるに違いない。飛べるかもしれないと思ったのはそのときで、言葉の空を航行する術を思考した。そこでは誰もが言葉を吸い、肺を通じて酸素を交換するように言葉を交換し、吐き出し、或いは血に乗せて全身に巡らせるのだ。くらくらして、どきどきする。なんてステキな世界なんだろう、と胸を鷲掴みして見上げる月はとても遠かった。風は水流のように押し寄せ、ぼくの心許ない足もとを無遠慮に揺るがす。






2007年5月5日土曜日

這い回る蝶々

「這い回る蝶々」

 永久に眠れる女郎たちの肩に彫られた蝶々が好い人を求めて皮膚を羽ばたいている。


 タイトル競作 ×:1

 選評を見ていて思ったこと。這い回るってそんなアグレッシブなイメージがあったのかしらん、とか思ったり。僕はむしろ空とか上の方と途方も無い距離があるようなイメージだったりする。
 ところで虚数昆虫、いいよね。もうね……むふ…………ぞなもし……はぐ……ぎゅっ……みたいな、やあん……たまらんのよ…………こう、もう。←みたいな感じ(気持ち悪い)。惚れ込みすぎて他作品が読めませんでした。てへ。



 ヒダリマキさんが翅を毟った蝶をミギマキさんは膝を抱えて見ている。ヒダリマキさんは、毟った翅を陽に透かしてみたり水に浸してみたり、或いは宙に放ったかと思えば絹でも触れるかのように親指と人差し指で摘み、ふー、と息を吹きかけきゃっきゃと手を叩いて喜び、挙句翅をぐしゃぐしゃにしてしまう。手の平にこびりついた残骸をはたき落とし、ヒダリマキさんはどこかへ行ってしまう。その間ミギマキさんはずっと観察を続けていた。蝶には決して触れずただ視線だけを注ぐ。が、やがて立ち上がり、踵でぐりぐりと蝶を擂り潰すと、ヒダリマキさんを追って駆けていった。そしてミギマキさんは、花畑の真ん中で蝶を捕まえようと跳ね回るヒダリマキさんを押し倒し左肩に齧り付く。二人はくねくねと体勢を変えながらきゃっきゃと笑い合う。

性の起源

「性の起源」

 暗くなるとたちまち夕暮れの匂いが立ち込める。茜色の空を見て胸が苦しくなるのは初恋の人を思い出すからで、窓辺で私に背を向けて立っていた後ろ姿を想像する。骨ばった手の平が緩く握られていてそのラインを目で撫でていると彼が振り返り、母の名を呼んだ。そして私はひどく愛しげに父の名で応える。さっきよりも濃くなった夕闇の中で私たちはじっと見つめ合っている。




2007年5月3日木曜日

私がダイヤモンドだ

「私がダイヤモンドだ」

 ジャングルジムの丘に立つ勇者が、砂場の谷を隔てて滑り台の山のダークプリンスと対峙する。じりじりと灼熱の太陽が地表に迫り、太陽を横切る鳥も雲もない。おもむろに、勇者が宣言する。
「私がダイヤモンドだ」
 これは、実は先日、勇者が両親とテレビの二時間ドラマを見ていたときに主人公の少年が銃を両手に構えて言ったセリフである。宝石店の店主が両手を挙げて助けを請いながらもその瞳は憎しみで煮えたぎっていて、また主人公も譲る気など全くなく、長時間の睨み合いの末に彼はそう言ったのだった。そして、少年は発砲し、決して幸せではないがとてもかっこいいエンディングを迎えた。つまり、この言葉はそういう言葉なのだ。
 賽は投げられた。少年は丘を下り谷を越え、斜面を駆け上り逃げる仇を追跡する。仇は仇で、なんとなくかっこいい、と思っていることなど勇者は知る由もない。




 腰が痛いのだぜ。
 色々考え事をしていたらすっかり寝るのが遅くなってしまったのだぜ。

2007年5月2日水曜日

春の忍者

「春の忍者」

 ドレスの袖を通すとき姫君がぽつりと「花畑が見たい」と呟くを聞きつけ、忍者は早速行動を開始する。姫君がドレスの皺を伸ばして顔を上げると、そこは既に花畑の中。うららかな陽気と甘いそよ風が溢れ、傍らを流れる清らかな小川には一本の不自然な竹の棒が立っている。




2007年5月1日火曜日

お城でゆでたまご

「お城でゆでたまご」

 白い森の胎内で密やかに息づく古城に至る道は無い。それは唐突に出現し、誰かの記憶の断片であるが如く輪郭は枝葉に隠され曖昧となる。崩れた城門を越え中に入ればそこかしこに跋扈する白い草と白い花、彼方で虚ろな口を空ける玄関がある。足もとはふわふわと頼りなく、空は白い森で覆われているためぼろぼろの白天が解れて時折青天が覗いているように見える。しかし白天である限りはそこは真冬の雪原でありそこは雪が降ることさえ忘れられてしまった時の彼方でもあった。城の中へ踏み入ると、小柄な老婆が「旦那様、お帰りなさいませ」と出迎える。後に付いて行く途中、例えば廊下の隅の暗がりで何かが蠢く気配を感じるが老婆は気にする風でもなく私を一室に通した。気が狂ったかのような白い部屋に眩暈を覚えるが老婆は私を部屋に押し込み閉じ込める。円形の部屋の中心には小さな円卓が置かれ、丁寧に殻の剥かれたゆでたまごがあった。ゆでたまごに歯を立てる。まず最初に私が失うのは思考なのだろうな、と苦笑する。

楽園のアンテナ

「楽園のアンテナ」

 楽園を求めて旅する僕らは、世間ではサーカス団として認知されているようだ。
 満月の夜は特に盛り上がる。大男の吹く炎は天井ぎりぎりまで燃え盛り、座長が隣で「少しは加減しろ!」なんて騒ぐが決して本気ではなく、次の出番を待つ新入りの子が僕らの後ろでリハーサルを繰り返す。いつもの光景だった。
 空中ブランコの大演技が終わりアンコールの声が止まぬ中、座長は舞台の真ん中に立ち、演説を始める。
「皆様、今宵はお楽しみいただけたでしょうか、いいや返事は要りませぬ、我々には皆様の興奮を敏感に感じ取るアンテナがあるのですから。ところで皆様、我々は決してただのサーカス団ではなく、実は楽園を探す徒なのでございます。思えば我々が旅立ったのはもう何代も昔のことですが、未だに辿り着く気配がありませぬ。果たして本当に楽園などあるのでしょうか? あるのです。皆様、どうぞこちらをご覧下さい」
 松明が宙を照らし僕の姿が露になると、眼下で蠢く観客の視線が集中するのがわかった。僕は顎を引く。じっと目を瞑り深く息を吸い込み、網膜に映える星空に楽園の在り処を尋ねた。彼らは決して直接的には教えてくれないが、しかしいくつものメタファーを与えてくれる。今日は観客の小さな男の子の、慌てて隠したくしゃみだった。僕は細く張られた縄の上へと歩みだす。観客のどよめきの中から件の男の子の視線を探り、そちらへと向かう。梯子を下り、モーセよろしく開けた観客の中から男の子を見つけ出した。
「今朝、君は夢を見たはずだ。とても、そう、とても幸せな夢だ。教えてくれないか?」
「……滝。それから花畑……」
 それだけ聞くと僕はにっこりと微笑み、男の子の頭を撫でてやる。そして観客をぐるりと見渡し、
「僕らは滝と花畑のあるところへ向かいます!」
 そしてライトは舞台を照らす。




 晴れてかぜっぴきです。